2024年7月28日日曜日

多摩川源流の水干をもとめて

 数年かけて多摩川をランで繋いで、河口から小河内ダム(奥多摩湖)まで走ってきた。ダムから上流は車道オンリーになるで実現は難しいのだが、多摩川の最上流地点の源流といってもいいのは水干(みずひ)と呼ばれる場所になる。
これは山梨県と埼玉県境にある笠取山の直下の湧水から流れ出る小流だ。7月の終わりに友人と連れ立って、笠取山登山と合わせて水干を巡ってきた。

 笠取山へは国道411号線から一之瀬高原キャンプ場の方面に向かって車を進め、作場平というところにある登山口から笠取山へ向けて登山スタート。

 岩や倒木が苔むしている。下草がキレイに刈られているが、決して人工的な感じがするわけではなく、しっかり人の手が入っていることが感ぜられるのだ。笠取山から南側周辺一帯は広大な東京都の水源地として管理されていて、涵養林となっている。
沢沿いの山道を進み、丸太を渡した木橋でなんどか沢をわたりながら高度を稼ぎ、ヤブ沢峠の尾根に出る。
そこから林道を進むと、笠取小屋。ここにはテント場と、きれいなバイオトイレがある。さらに先に進むと段々と視界が開けてきて、ちいさな三分水界。
 南側の東京都方面へと流れる多摩川水系、北側の埼玉県方面へと流れる荒川水系および、西側の山梨県方面へと流れる富士川水系の3分水界だ。
ちょっとでもずれて降った雨粒は、流れ下る川(水系)が異なるということになる(厳密には地下水までそうなっているか?はあるけど)。

 そこからしばらくなだらかな尾根道を進むと眼前に笹薮の急登が現れる。笠取山頂直下である。

 すぐに斜度30°ぐらいはあると思われ、かなり息があがるが、それをクリアすると一つめのピーク。後で気がつくがここは笠取山頂ではない。ただ雰囲気はこちらのほうが山頂。清々しい気持ちだけでなく、標高のお陰でかなり涼しい。(日射は厳しいけど。)

細い岩だらけの尾根道をすこし進むと1,943mの山頂があるがこちらは狭く、すぐに通り抜け、山を下り始める。しばらく山頂を巻くように降りてくると、水干に至る。
水干は山頂の直下の岩の間から湧き出るポイントのようだが、その日は水は出ていなかった。
ただ、水干からちょっと進んだ先にある水道道という案内を進むと、水干の下で地表に流れが出てくるところまで降りることができて、そこには岩の間からきれいな流れ出る様を見ることができた。
7月の暑い日であるにも関わらずその水は結構冷たくて、冷感タオルを浸して首に巻くと、まるで保冷剤でも入れているかのよう。

 水干から流れ下る水は水干沢を下り、一之瀬川から丹波川を経て、奥多摩湖に注ぐ。そこから多摩川となり、大田区羽田の河口までいく。
水干から河口まで138kmに及ぶそうだ。

 朝7時に作場平をでたが、コースタイムでいくと正午までには帰れる。これは午後から雨の予報があったのだ。実際、ちいさな三分水界の下まで戻ってきたときには、北の方の山には黒い雲がかかり始めていた。
笠取小屋でラーメン作って食べようか、と言っていたのだが、早めにスタート地点の作場平まで戻ることに変更。笠取小屋にあるつめたい湧き水で顔を洗って再出発。下山ルートはヤブ沢峠経由ではなく、沢沿いの山道を下っていく。小屋の下の道は沢沿いで、流れが豊富かつ鮮烈だ。暑いので手を浸し涼を取る。

 小屋から約1時間かけて作場平の駐車場まで戻ってきた。
 帰りは道の駅併設の小菅の湯で温泉&サウナを満喫。入浴中に結構な雨がふってきたが、真夏のサウナ後の外気浴には体感温度が下がって恵みの雨となった。

 笠取山と水干は山が手入れされた山だったし、暑い季節は山頂の涼風と沢の流れに癒やされるとことを感じれた登山となった。

2024年7月21日日曜日

サロマ湖100kmウルトラマラソン(あとがき)

サロマが終わってから約2週間経過後にこれを書いている。そういえばそろそろ記録証が速報から確定になっているだろうか?と思ったら、そうなっていた(グロスタイム 12:40:19)。いろいろ、回想した。

サロマは62キロ超の初大会だった。確かに後半は足の痛みで苦しんだが、なにより・とにかく暑かった。というのが今回の一番の思い出。
実際、完走率も58.8%と低く、これは気温によるものだと思う。

レース直後はやり切った・出し切ったという充足感があった(それはそれでよかったのだが)が、タラレバはないが気温がもうすこし低ければ、走りやすくて且つタイムも伸びとおもう。
そういう意味では、あれだけの気温の中で10時間を切るトップランナーの気力とスタミナは並大抵でなく、自分はウルトラマラソンの順位の中では上位80%程度だ(フルマラソンよりかなり悪い。)。

まだ、やれることはあるのだろうか?
レースが終わってすぐのころは、暑かった中盤の坂道の苦しみや後半の足の痛みから、もうウルトラマラソンは良いかなぁと思っていた。
その痛みが去るとまた走ってみたいと考えるようになり、他の人はサロマ湖をどう走ったんだろう?と、気になってYoutube動画を見たりしていた。すでにサロマ湖ロスなんだろうか。(ちなみに、太ももの痛みはしばらく継続し、フルマラソン後ではありえないほど長引いた。)

レース自体は、やはり気温に合わせて走るしかない。どれくらい後半へ体力を温存できるか?という考え方をベースにしないと、ウルトラマラソンは完走できないことが身に染みた。
だから、暑さがある以上、給水は必須。だからフラスクを携行することは必須だ。今回もおそらく多くのランナーが、エイドの給水だけでは足りなかったのではないかと思う。携行しなかったとすると、エイドで水分を一気飲みしがちだが、それをするのも良くなくて、走っていると胃がガボガボになり、おそらく胃腸がやられる。
だから、エイドではフラスクに水を満たしてもらって、それを(重いけど)持って走りながらこまめに自己給水するのが良いと思った。

一方では、携帯する補給食は課題があった。
スリムかつシンプルにして、軽量化する必要があると。自分はジェルをあれこれと携帯し過ぎてしまい、3本ほどトレランザックに入れて走ったが、結果的に1本の半分しか摂らなかった。
軽量化して、エイドステーションで出される食事をしっかりと摂れるようにした方が、携行物の軽量化と自分への胃腸への負担を減らせる。
また、心配ならば後半のためにドロップバッグに入れておく程度でもよかったと思った。

反省点は以上。
今シーズンの大会出場としてはサロマ湖で終わる。
だから、これから始まる夏のシーズンオフと秋からの来シーズンをどう走るか?と考えて、大会出場を検討したい。そして、その延長線上で再度ウルトラマラソンに出走するかどうか?決めたい。

まず、今シーズンはどうだったのか。
2023秋の出場大会は、9月の東和棚田のんびりRUN(ハーフ)、10月の信濃大町アルプスマラソン(フル)、11月のつくばマラソン(フル)でフルの自己ベストを出せた。
直近の2024春の出場大会は、1月勝田全国マラソン(フル)、2月青梅(30km)、3月東京マラソン(フル)、4月チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン(62km)、5月黒部名水マラソン(フル)と走ってきての、6月サロマ湖(100km)だった。
1月の勝田では事前に体調を崩してしまい中盤から全くレースにならなかったが、概ね良い大会ローテーションだったのではないかと思っている。

来シーズン2024秋の大会は、9月一関国際(ハーフ)、10月水戸黄門漫遊(フル)、11月つくば(フル)とエントリー済み。まずは本命大会11月のつくば目指して調整していくこととなるが、そのあとをどうするか。
以降は未定だが、秋のフルマラソンはいつもどおり2大会走るので、12月は足立フレンドリー(ハーフ)か。はたまた、同日開催となるであろう、12月15日(日)に開催される第7回沖縄100Kウルトラマラソンも気にはなる…。

ただ、財政面も考えないといけない。

サロマは思い切って良い宿に泊まってレースに出た。満足感がたかかったのだが、さすがに毎年出場するのに十数万円を出費しつづけるわけにもいかない。
もし次回もサロマに出走するなら少しは財政を圧迫しない行程を考えないといけない。


ちなみに次回は、8月番外編で長野県上田市丸子で開催される爆水ランという川の中を走る面白いレースに出場しようとしている。もし、気が向いたらそれも書き残そうと思っています。結局、真夏の練習のことは書けていない(考えたくないからか・・)が。

2024年7月20日土曜日

サロマ湖100kmウルトラマラソン2024 後編

 80キロまでは、スタミナ的にも脚力的にもゴールできるだろうか?という不安があったサロマ湖100kmウルトラマン2024だったが、薬で痛みと攣り防止し、やり過ごしながら走れている。80キロのエイドにたどり着き、ここでもオレンジだけを摂取して、いよいよワッカ原生花園内に入る。

 ワッカ原生花園は、細長い砂州にあるので麦乾工場から折り返し地点まで10キロもの長大なスライド区間であり、かつ細い遊歩道なので走路が狭い。また、砂州は平らではなく、小刻みなアップダウンとなっている。もうゆるい坂路を走れるだけの脚力が残っていないので、上りは歩きたくなるし、下りはショックが脚に響くのでまたあるきたくなる。結果、8:00/km台のペースに落ちてしまう。原生花園の中で朦朧とする頭で計算したところ、残り20kmをキロ9分だとギリギリの可能性があるので、9分にはならないよう、走れるところは走って、なんとかトータルで7:00/kmは維持したいと考えて園内を進む。
 見通しは利くので遠くに折り返しの巨大なコンクリート橋(サロマ湖と外海であるオホーツク海を結ぶ水路にかかる橋)が見えるが、全く近づいてくる気配がない。入り口から折り返しまで9キロほどあるのだ。ただ、体感的には1.5倍くらいの距離があるように感じた。これがサロマ湖100kmウルトラマラソンのワッカの厳しさなんだと実感した。

 唯一救われたのは、オホーツク海に近づいたのと時間が15時頃になって気温が下がってきて、前半と中盤での暑さから開放されたことだ。原生花園内では水掛けしなくても十分に走れるようにはなったので、アームカバーと首の冷感タオルを外し、2.5kmごとのエイドでは水分だけ補給して先に進む。
 折り返しの橋は大きく巨大なコンクリート橋なので、結構な上り下りがある。頂上に到達すると左手はサロマ湖を望み、右手にはさらに広大なオホーツク海を一望できる。なお、橋の頂上で折り返すと思っていたが、反対側のグラウンドレベルの砂州まで下り切ってから折り返すので、上りも下りも2回あるのはここまで脚を消耗した身体には堪える。ほぼすべてのランナーは上りを走る脚が残っていないようだった。
 橋を折り返してしばらく走ると90キロポスト。9:00/kmなら18時の制限時間内にゴールできそうだと計算できたが、すべて歩くと9:00/kmはキープできないこともわかっていた。ゴールまで10キロ、脚が残ってくれるかどうか。痛み止めと攣り防止の薬はもうない。
 また、スライドして原生花園内を折り返し地点に向かうランナーが減ってきた。おそらく80キロ地点のエイドでの関門が閉鎖されたんだろう。

 残り時間とか脚力が残ってくれることを考えながら、細かい上り下りが多く辛かったワッカ原生花園をなんとか抜け、麦乾工場まで戻ってきた。ワッカ入り口の80キロのエイドステーションは、スライドして戻ってくるとワッカ出口の97キロのエイドでもあり、そこでオレンジジュースを飲んで残り3キロに臨む。
 ワッカを出ると再び平坦な自動車道なので走りやすくなる。気持ち的には僅か3キロなのだが、一歩一歩の着地衝撃が大腿四頭筋に響き、脚攣りも怖く思ったよりペースをあげられず、気持ちが考えているほどスピードが出ない。
 最後の直線に差し掛かると常呂町の両脇の沿道に多くの人が応援してくれる。一斉の「おかえり〜」コールだ。自分も感極まってきた。
 ゴール会場のDJがナンバーと自分の名前を読み上げて、事前に登録していたメッセージを読んでくれた。
 よく持ってくれた自分の脚。また、今回は胃腸が文句を言わずに100キロ付き合ってくれた。自分の体が本当によく頑張ってくれたと思う。
 最後は常呂町スポーツセンター内にあるゴールに向かって右折し、200mほどでゴールする。12:40:19と制限時間まで20分を切っていた。

 ゴールを切って、泣いてはいないけど、ちょっと涙腺が緩んだ。この感覚はフルマラソンにはない感動だったが、本当に過酷な100kmだった。
 首からフィニッシャーズメダルを掛けてもらう。ちょっと歩いたテントでもらったアイシング用の氷を当てるため腰掛けたがもう前腿が全く動かなくなっていた。立てない。
 本当に気力だけで脚は動いてくれていたのかもしれない。

 その後、もう着替えるだけの力も残っておらず、大江本家の迎えのバスまで足を引きずってなんとか乗り込み(バスの乗降段が上がれない)、宿へとまた一時間以上を掛け戻る。
 宿に帰投して風呂でベトベトの汗を流す。前にも書いたがスタート前と比べて体重が2kg減った。
 すでに宿の食事の時間が過ぎているが、特別な和午前が用意されていた。一杯だけ完走賞のビールを飲んだら、体力限界の疲れと2日間の寝不足による睡魔が襲ってきてすぐに落ちた。

 ワッカもきつかったが、一番つらかったのはフルマラソン超えて60キロまでのアップダウンがあった中盤戦だったと思う。本当に暑く、水掛けしたり氷を貰って腕や脚や頭を冷やした。タラレバはないけど、もし暑さがなければもう少し楽な中盤だったと思う。
 あとは新しい発見もあった。65キロ以降はゾーンに入った様に7:00/kmで走り続けられたことだ(ただし、ペースアップすることはできず同じ7分ペースでしか走れないのだが。)。フルマラソンでは決してなり得ない経験だった。
 フルマラソンとは全く違う世界・感覚があった100キロ完走だった。

2024年7月15日月曜日

サロマ湖100kmウルトラマラソン2024 中編

  朝5時に湧別町スタートなので、事前に3時に宿が用意してくれたおにぎり+簡単なおかずを詰め合わせたお弁当を食べる。朝の3時に起きぬけでなかなか食べれないが、今日はゴールまで胃腸が持つかはわからないので、食べれるときに食べておく。

 宿が用意してくれたバスで3時に宿を出発。まだ日の出時刻前で暗いなか、早朝の信号のない道をノンストップで走っても留辺蘂町から湧別町まで一時間以上かかる。


 スタート会場の湧別総合体育館はすでに多くのランナーで賑わっている。3,000人ほどの100キロ出走者と聞いていたが、フルマラソン大会並みの賑わい。アミノバイタルのテント前でヘイジーさんを見かけて、再び興奮して(一方的な)ご挨拶。その後、20分ぐらい前からスタートグリッドに整列。Cブロックで後方からのスタートだが、ウルトラマラソンなのでネットとグロスの差はほとんど気にしない。そして5:00号砲し、スタート。

 今回はいろいろと考えた結果、完走することを第一目標において慎重に考えた。フルマラソンだったら、欲を出した設定ペースで後半崩れたとしても、なんとか完走はできる。しかしながらウルトラマラソンでは、40キロで崩れたら、まだそのあとに60キロも残っている。長距離になればなるほど、その途中で走りや体調が崩れない、と考えることに無理がある。だから、トラブルがない走りをどれくらいまで後半、もっというと終盤にまで引っ張っていけるかが、重要になると考えた。

 そのために、考えたのが上限心拍数を制限して走る、という方法。一般的には自分の最高心拍数(自分だったら178bpm)の7割から8割で走ることで、より長距離を体力を温存して走れると言われる。
 自分だと、8割なら142bpm。7割だと125bpmだが、事前のジョグや練習で125で走ることは難しいと感じていたので、8割の142を超えないようにして走ることにした(また、心拍には当日の暑さも影響する)。また、ペース設定についてはアート鈴木さんがいう、60キロまでは7:00/kmでよくて、60~80キロまでは8:00/kmまで落としてOK。さらに80~100キロは9:00/kmまで落としてもいい、という話が一番サロマ初心者には合うと考えて、実践することにした。
 ただし、本当にそのスピードにしてしまうと全く貯金がないので、エイドなどでの水分補給や大エイドでの着替えや食料補給に使う時間が無くなってしまうので、それよりも速く走って余裕自分の”貯金”を作りましょうね、という考え方だ。

 自分は50キロまでは6:30~7:00/kmのペースで走り、上限心拍数は142を超えないようにするとして臨んだ。やはり前半は少し上りになると150を超えてしまうこともあったので、その時は積極的には走らず歩いていい、という事にした。フルマラソン距離まではその考え方でおおよそ6:30/kmで走れたと思う。
 ただ実際は、当日は佐呂間町の最高気温が31℃まで達しているし、実際は25キロ過ぎから国道に出るまでの広大な畑の中を走り抜けるとき(時間でいうとまだ8時前だ)から強い直射日光が降り注ぎ、体感気温としてはすでに30℃に到達していると感じるほど、気温条件は厳しかった。

 各エイドステーションや水被りポイントでは積極的に掛水して身体を外部から冷却するようにした(ここで前日に東川町のモンベルで購入したアームカバーと首に巻いた濡らすと冷却効果があるタオルが役に立った。)が、それでもフルマラソンディスタンス以降の中盤は、厳しい走りを強いられた。
 50キロから54キロ地点にある大エイドステーションから61キロまでが一番きつかったかもしれない(同行したランナーにもここで抜かれた)。いま思い返すと佐呂間町に入って10時から11時前後に気温が一番高くなっていて、3回ほどの国道沿いの走路が狭く気を使って走っている中でのアップダウンでは体力がかなり削られたと思う。登りは前述した上限心拍数を極力超えないよう歩きも入れて体力の温存を図るが、ペースが悪化するだけでなく走りのリズムが悪くなり、精神的にもきつかった。

 61キロから先は、下り基調かつフラットになって水辺に近づいて気温も少しだが下がりだす(内陸は暑く、海沿いは涼しい。)。
 フルマラソンを超える長距離走では、上り下りといったフィジカルだけではなくてそれを支える補給をどうするか?も重要なポイントである。
 自分はいわゆるゼリー系の飲料を連続的に摂取することが苦手で、ゼリーを取りすぎると胸焼け&胃が荒れてそれ以降食べ物を受け付けなくなってしまう(ウルトラ系では胃腸がやられる人も多いが、長時間揺さぶられることが原因なのだろうか。)。
 そのためできる限りエイドステーションで"自然なフルーツや食料"を摂取するように努めた。

 これはチャレンジ富士五湖ではバナナとオレンジに助けられ、やばそうなときはガスター10を服用した経験だ。サロマ湖100kmでも、できる限りこのバナナとオレンジを交互に摂りながら進むことにして、胃腸を守り、手持ちのゼリーは本当にエネルギーが切れた時だけに摂取するようにしようと思っていた。
 また、そうしたゼリーやフルーツなど流動系のものは、食事をとった感覚に乏しいと体が空腹に反応してしまうので、咀嚼する食べ物を持参することも重要。なので、ドライフルーツ&ナッツを携行するようにもした。
結果的には持参したゼリー系の補給食はジャム屋のジェル1本のうち、1/3を飲んだだけだった。(わりと自然なものなので、よくあるランニング用のゼリーのような化学合成っぽさはないが、甘さがきついので連続した摂取は厳しい。)。胸焼けと胃腸の調子を崩したとき用にガスター10も持参していたが、途中で予防で1錠飲んだだけで済んだ。

 63キロ過ぎと回想するが、魔女の森と呼ばれるしばらく続く木陰道を走れる場所がある。その森に入り走りのリズムを取り戻し始める。
 しかしながら、走り始めると脚、特に前腿に痛みが出始める。無理はしていないが60キロを走ってきているのだ。たしかこのあたりで、攣り防止の漢方薬(芍薬甘草湯)と痛み止めのロキソニンを飲んだ記憶があるが、その後は淡々と7:00/kmのペースで走れるようになったことに気がついた。エイドでは水・ポカリだけを補給して、他の固形食を取らずにそのペースを刻めるようになっていた。
 いままでだったら、ハンガーノックまでは行かないが、エネルギー切れが顕著になってきて脚が動かなくなってきたり、猛烈になにか食べたくなったりすることが多かったが、今回は違った。糖分を取らずに遅いながらも一定のペースで走行できるのだ。後で思えば、うまく身体が脂肪燃焼モードに移行したのだろうと思う(前夜の風呂場で計測下の比べ、ゴール後は2キロ体重が減少していた)。

 前記のように補給の心配があまりなくなったが、70キロすぎからは脚がゴールまで持ってくれるかどうか?が一番のポイントだった。5〜10キロごとに大腿四頭筋に痛みが走るので10キロ毎にロキソニンを飲んで痛みを抑えた。また、そことはタイミングをずらし、前述した芍薬甘草湯も服用して、脚攣りも防止する。
 途中からは、意識も若干遠のくからか、脚が痛むのか攣りの前兆なのか判断がつかなくなっていたのだが。

 前記のようにあまり取らなかったエイド食だが、70キロ過ぎの鶴雅リゾードのエイドで頂いた冷やしそうめんが美味しかった。塩味が身体に沁みた。
 まだワッカ原生花園には入らない自動車道沿いだが、遠くサロマ湖の対岸にワッカ原生花園を走っている蟻の行列のようなランナーの隊列が見えたが、気が遠くなる。
 途中、ランナーの人と頑張りましょうなどと声掛けしつつ、なんとかワッカ原生花園への入り口である麦乾工場が見えてきた。後編へと続く。

2024年7月14日日曜日

サロマ湖100kmウルトラマラソン2024 前編

  2024年6月30日(日)に開催された『サロマ湖100kmウルトラマラソン』に参加してきた。

 いつかは出たいと思っていた100キロウルトラマラソンに出走した。この大会に出るために昨秋から準備を進めてきた。まずは50キロ練習距離走としてタマリバ50kを秋・春に2回、それに62キロのウルトラマラソンとして、4月のチャレンジ富士五湖ウルトラマラソンの62キロ(河口湖・西湖・精進湖の三湖)を走った。
 ただ、100キロ自体走ることは全く初めて(それまでは72キロの道草マラソンは完走したことが最長)なので、もちろんフルマラソンのペースで100キロを走れるはずもないが、そこからどれくらい落として走るのがいいのか・・?基本的には自主練中心だったので、フルマラソンの2倍以上の距離となるので、いろんな人の経験を見たり聞いたり。また、自分の仕上がりだけでなく、サロマ自体が北海道ではあるけれども、6月(というかほとんど7月)開催のレース、気温がどれくらい影響するのか?Etc.どれくらいのペースで走り、何時間をゴール目標にしたらいいのか?はスタートを切る直前まで本当に悩んだ。

 29(土)。この日は観光を兼ねた移動日。旅の前の興奮もあってかあまり睡眠をとれず朝を迎える。朝イチのAirDoの羽田空港発旭川便。7:00の飛行機に乗るのと、荷物預けする余裕時間も考えると、羽田空港と同じ区内にもかかわらず自宅からは始発に乗らないといけない。なんと同じ飛行機の隣々の席にアート鈴木さんが・・! いつも見てます!お世話になっています!と挨拶・・。そういわれることも多いんだろうけど、こちらはYoutubeで見ているから、勝手な一方的な親近感で感動しちゃいました。9時前に旭川空港に到着。実は女満別におりたかったのだが、サロマの影響で女満別便は満席。そのため、Air Doで旭川に飛んできた。(帰ってきて気が付いたのだが、紋別空港に飛ぶ、という選択肢もあるんですね。)

最寄りのレンタカー店で最新型日産ノートを借り、途中いくつか観光地を走りながら、今回の宿ががあるオンネトー方面に向けて車を走らせる。まず最初は東川町の道の駅へ。何があるわけでもなかったのだが、隣にあったモンベルでの買い物で翌日救われることに。その後、旭川市外にある北鎮記念館を見学。現役自衛官に北海道開拓時代のガイドをしてもらい、ゴールデンカムイに思いをはせる。

 その後、層雲峡にある流星の滝と銀河の滝をみつつ、ちょっと寄り道して三国峠によって樹海を見て、峠にあるカフェで休憩。

 17時に宿である大江本家に到着。良い温泉がある良質な宿。
また、夜はバイキングで食べ放題だが、レース前日ということで肉や刺身は控え、糖質中心に。
20時には布団に入ったが、前日に引き続き興奮してほどんど寝れない。たぶん睡眠時間は2時間も取れていない。 レース当日の中編へと続く。