2024年7月20日土曜日

サロマ湖100kmウルトラマラソン2024 後編

 80キロまでは、スタミナ的にも脚力的にもゴールできるだろうか?という不安があったサロマ湖100kmウルトラマン2024だったが、薬で痛みと攣り防止し、やり過ごしながら走れている。80キロのエイドにたどり着き、ここでもオレンジだけを摂取して、いよいよワッカ原生花園内に入る。

 ワッカ原生花園は、細長い砂州にあるので麦乾工場から折り返し地点まで10キロもの長大なスライド区間であり、かつ細い遊歩道なので走路が狭い。また、砂州は平らではなく、小刻みなアップダウンとなっている。もうゆるい坂路を走れるだけの脚力が残っていないので、上りは歩きたくなるし、下りはショックが脚に響くのでまたあるきたくなる。結果、8:00/km台のペースに落ちてしまう。原生花園の中で朦朧とする頭で計算したところ、残り20kmをキロ9分だとギリギリの可能性があるので、9分にはならないよう、走れるところは走って、なんとかトータルで7:00/kmは維持したいと考えて園内を進む。
 見通しは利くので遠くに折り返しの巨大なコンクリート橋(サロマ湖と外海であるオホーツク海を結ぶ水路にかかる橋)が見えるが、全く近づいてくる気配がない。入り口から折り返しまで9キロほどあるのだ。ただ、体感的には1.5倍くらいの距離があるように感じた。これがサロマ湖100kmウルトラマラソンのワッカの厳しさなんだと実感した。

 唯一救われたのは、オホーツク海に近づいたのと時間が15時頃になって気温が下がってきて、前半と中盤での暑さから開放されたことだ。原生花園内では水掛けしなくても十分に走れるようにはなったので、アームカバーと首の冷感タオルを外し、2.5kmごとのエイドでは水分だけ補給して先に進む。
 折り返しの橋は大きく巨大なコンクリート橋なので、結構な上り下りがある。頂上に到達すると左手はサロマ湖を望み、右手にはさらに広大なオホーツク海を一望できる。なお、橋の頂上で折り返すと思っていたが、反対側のグラウンドレベルの砂州まで下り切ってから折り返すので、上りも下りも2回あるのはここまで脚を消耗した身体には堪える。ほぼすべてのランナーは上りを走る脚が残っていないようだった。
 橋を折り返してしばらく走ると90キロポスト。9:00/kmなら18時の制限時間内にゴールできそうだと計算できたが、すべて歩くと9:00/kmはキープできないこともわかっていた。ゴールまで10キロ、脚が残ってくれるかどうか。痛み止めと攣り防止の薬はもうない。
 また、スライドして原生花園内を折り返し地点に向かうランナーが減ってきた。おそらく80キロ地点のエイドでの関門が閉鎖されたんだろう。

 残り時間とか脚力が残ってくれることを考えながら、細かい上り下りが多く辛かったワッカ原生花園をなんとか抜け、麦乾工場まで戻ってきた。ワッカ入り口の80キロのエイドステーションは、スライドして戻ってくるとワッカ出口の97キロのエイドでもあり、そこでオレンジジュースを飲んで残り3キロに臨む。
 ワッカを出ると再び平坦な自動車道なので走りやすくなる。気持ち的には僅か3キロなのだが、一歩一歩の着地衝撃が大腿四頭筋に響き、脚攣りも怖く思ったよりペースをあげられず、気持ちが考えているほどスピードが出ない。
 最後の直線に差し掛かると常呂町の両脇の沿道に多くの人が応援してくれる。一斉の「おかえり〜」コールだ。自分も感極まってきた。
 ゴール会場のDJがナンバーと自分の名前を読み上げて、事前に登録していたメッセージを読んでくれた。
 よく持ってくれた自分の脚。また、今回は胃腸が文句を言わずに100キロ付き合ってくれた。自分の体が本当によく頑張ってくれたと思う。
 最後は常呂町スポーツセンター内にあるゴールに向かって右折し、200mほどでゴールする。12:40:19と制限時間まで20分を切っていた。

 ゴールを切って、泣いてはいないけど、ちょっと涙腺が緩んだ。この感覚はフルマラソンにはない感動だったが、本当に過酷な100kmだった。
 首からフィニッシャーズメダルを掛けてもらう。ちょっと歩いたテントでもらったアイシング用の氷を当てるため腰掛けたがもう前腿が全く動かなくなっていた。立てない。
 本当に気力だけで脚は動いてくれていたのかもしれない。

 その後、もう着替えるだけの力も残っておらず、大江本家の迎えのバスまで足を引きずってなんとか乗り込み(バスの乗降段が上がれない)、宿へとまた一時間以上を掛け戻る。
 宿に帰投して風呂でベトベトの汗を流す。前にも書いたがスタート前と比べて体重が2kg減った。
 すでに宿の食事の時間が過ぎているが、特別な和午前が用意されていた。一杯だけ完走賞のビールを飲んだら、体力限界の疲れと2日間の寝不足による睡魔が襲ってきてすぐに落ちた。

 ワッカもきつかったが、一番つらかったのはフルマラソン超えて60キロまでのアップダウンがあった中盤戦だったと思う。本当に暑く、水掛けしたり氷を貰って腕や脚や頭を冷やした。タラレバはないけど、もし暑さがなければもう少し楽な中盤だったと思う。
 あとは新しい発見もあった。65キロ以降はゾーンに入った様に7:00/kmで走り続けられたことだ(ただし、ペースアップすることはできず同じ7分ペースでしか走れないのだが。)。フルマラソンでは決してなり得ない経験だった。
 フルマラソンとは全く違う世界・感覚があった100キロ完走だった。

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