2025年2月9日日曜日

ふるさと納税へのポイント付与が終了したら

 iij mio が値下げやデータ増量へ。
「IIJmioモバイルサービス ギガプラン」一部プランでのデータ増量 および月額基本料金値下げは、楽天モバイルユーザーにも刺さるアナウンスではないだろうか

 いま、楽天モバイル使っているけど、友だち紹介プログラムやら標準電話アプリを使用した一定時間通話料無料のプロモーションメールが多く辟易していた。楽天Linkは通話料無料がアドバンテージではあるは魅力だが、冷静になって考えてみるとそんなに通話しないし、専用アプリは、電話アプリといえないようなプロモーションや宣伝が入り込んでいてて最悪な状態で、それに制約・制限は案外と面倒くさい。だから以前からAndroidの標準通話アプリに移行したいと思っていた(楽天Linkがあればそっちを使ってしまうけど。)。

 楽天モバイル+楽天カードで楽天経済圏の恩恵にあずかっていたけど、ふるさと納税のポイント付与終了したら、それで稼げていたポイントが丸々なくなってしまう。
 ポイントが少なくなったら楽天経済圏に拘る必要もなくなるから、楽天市場でのふるさと納税へのポイント付与が9月30日で終了する9月末が潮どきで、楽天経済圏から離脱して、iijに乗り換えるかな。

 iij mioの25GBで税込み2,000円なら、容量はそれで十分だし、うるさい楽天モバイルもプロモーション類から離れてスマホ環境をシンプル化するチャンスと考えて以降することを考えようと思う。
 楽天モバイルから離れたらポイントの中心をどこに移すのか?はJREポイントが一つの選択肢だけど、もうしばらく考えよう

2025年1月19日日曜日

モバイルバッテリーや交換したスマホ内蔵電池の廃棄

 Amazonで購入した中華製モバイルバッテリーや、先日自前で交換したスマホ内蔵バッテリーで使えなくなった廃棄するリチウムイオン電池の廃棄に困っていた。

 最近、ニュースでゴミ収集車やゴミ処理場で火災が発生した、と言う話もよく聞く。スプレー缶なども原因の一つと考えられるが、リチウムイオン電池は衝撃・損傷すると内部でショートして発火したりするそうだ。だから、リチウムイオン電池は通常のゴミと一緒にゴミ出ししてはいけない。東京都知事もそう言っている。

 収集車や処理場で火災を起こすと多大な金額的な損失が発生するだけではなく、ゴミ処理インフラが機能しないことによる重要なインフラサービスであるゴミ回収とその処理がおこなえなくなり市民生活に重大な支障・影響を及ぼすことから、真剣に考えないといけない。

 スマホが一人一台当たり前の世の中、災害などに備えてモバイルバッテリーを用意する人も多いだろうし(むしろ推奨されている)、なによりAmazonなどでは中国製のあまり聞かないモバイルバッテリーが簡単に、そして名のしれたメーカー製のモバイルバッテリーよりかなり安価安に入手できるような世の中である。

 モバイルバッテリーはスマホの電池と同様に消耗して3年から4年で充電できる容量が減ってしまうため、スマホの本体と同じで買い替えられる運命であるが、そのときにどう処分するかについてよくよく考えてから購入したほうがよい、というのが今回のblogの趣旨である。
 我が家にも四〜五年前にアマゾンで購入した、20,000mmWhの中国製モバイルバッテリーがあった。もう最近は使用していない。充電しても容量(パーセント表示)が怪しいのだ。

 また、最近電池が持たなくなったGoogle Pixel3はメイン機の役割を退役したが、PovoのSimを入れQuadLockの頑丈なスマホケースにいれてバイクのナビ専用機としてまだ使っている。アマゾンで交換用の内蔵電池(+簡単な交換用工具のセット)だけを購入しDIYで交換したら、スマホから使えなくなったリチウムイオン電池が出てきてしまう(当たりまえ)。

 前述したようにリチウムイオン電池をどう廃棄するのか?といろいろ調べたところ、まずは販売店等で引き取ってもらいましょう、という検索結果が出てくる。これはJBRCという、小型充電式電池のリサイクル団体にそのバッテリーのメーカーが加盟していれば、引き取ってもらえるが、アマゾンから買った聞いたこともない名前のモバイルバッテリーは加盟しているはずもない(リストに名前がない)。
 同様に内蔵バッテリーを交換したスマホから出てきた内蔵バッテリーも同然だ。
 では、どうするか?だが、あとは自治体に確認してみてください、というのがたいていのWEBサイトの記述であり、これは匙を投げたも同様である。
 実際、私が住んでいる自治体はWeb上では「JBRC・販売店のいずれも引取りができない二次電池は問い合わせてください」といっていた。
 このため、自治体に問い合わせたところ、今回は個別に引取しますので◯◯の清掃事務所に直接持ち込んでください、と言われた。
 なんとか平日に清掃事務所の窓口に赴きそれらの電池の廃棄を依頼できたのだが、決してレアケースではないと思った。

 ルール化・法整備せずリチウムイオンバッテリーの販売・利用・廃棄が野放図になっている現状が、ゴミ収集者やゴミ処理場で火災が起こしているのである。
 今回の教訓は、まず販売者はJBRCで電池回収できない製品を販売しないことにしてほしいし、もちろん消費者側はJBRCに加盟していないメーカーの充電池は買わないということにしたいものだ。

2024年7月28日日曜日

多摩川源流の水干をもとめて

 数年かけて多摩川をランで繋いで、河口から小河内ダム(奥多摩湖)まで走ってきた。ダムから上流は車道オンリーになるで実現は難しいのだが、多摩川の最上流地点の源流といってもいいのは水干(みずひ)と呼ばれる場所になる。
これは山梨県と埼玉県境にある笠取山の直下の湧水から流れ出る小流だ。7月の終わりに友人と連れ立って、笠取山登山と合わせて水干を巡ってきた。

 笠取山へは国道411号線から一之瀬高原キャンプ場の方面に向かって車を進め、作場平というところにある登山口から笠取山へ向けて登山スタート。

 岩や倒木が苔むしている。下草がキレイに刈られているが、決して人工的な感じがするわけではなく、しっかり人の手が入っていることが感ぜられるのだ。笠取山から南側周辺一帯は広大な東京都の水源地として管理されていて、涵養林となっている。
沢沿いの山道を進み、丸太を渡した木橋でなんどか沢をわたりながら高度を稼ぎ、ヤブ沢峠の尾根に出る。
そこから林道を進むと、笠取小屋。ここにはテント場と、きれいなバイオトイレがある。さらに先に進むと段々と視界が開けてきて、ちいさな三分水界。
 南側の東京都方面へと流れる多摩川水系、北側の埼玉県方面へと流れる荒川水系および、西側の山梨県方面へと流れる富士川水系の3分水界だ。
ちょっとでもずれて降った雨粒は、流れ下る川(水系)が異なるということになる(厳密には地下水までそうなっているか?はあるけど)。

 そこからしばらくなだらかな尾根道を進むと眼前に笹薮の急登が現れる。笠取山頂直下である。

 すぐに斜度30°ぐらいはあると思われ、かなり息があがるが、それをクリアすると一つめのピーク。後で気がつくがここは笠取山頂ではない。ただ雰囲気はこちらのほうが山頂。清々しい気持ちだけでなく、標高のお陰でかなり涼しい。(日射は厳しいけど。)

細い岩だらけの尾根道をすこし進むと1,943mの山頂があるがこちらは狭く、すぐに通り抜け、山を下り始める。しばらく山頂を巻くように降りてくると、水干に至る。
水干は山頂の直下の岩の間から湧き出るポイントのようだが、その日は水は出ていなかった。
ただ、水干からちょっと進んだ先にある水道道という案内を進むと、水干の下で地表に流れが出てくるところまで降りることができて、そこには岩の間からきれいな流れ出る様を見ることができた。
7月の暑い日であるにも関わらずその水は結構冷たくて、冷感タオルを浸して首に巻くと、まるで保冷剤でも入れているかのよう。

 水干から流れ下る水は水干沢を下り、一之瀬川から丹波川を経て、奥多摩湖に注ぐ。そこから多摩川となり、大田区羽田の河口までいく。
水干から河口まで138kmに及ぶそうだ。

 朝7時に作場平をでたが、コースタイムでいくと正午までには帰れる。これは午後から雨の予報があったのだ。実際、ちいさな三分水界の下まで戻ってきたときには、北の方の山には黒い雲がかかり始めていた。
笠取小屋でラーメン作って食べようか、と言っていたのだが、早めにスタート地点の作場平まで戻ることに変更。笠取小屋にあるつめたい湧き水で顔を洗って再出発。下山ルートはヤブ沢峠経由ではなく、沢沿いの山道を下っていく。小屋の下の道は沢沿いで、流れが豊富かつ鮮烈だ。暑いので手を浸し涼を取る。

 小屋から約1時間かけて作場平の駐車場まで戻ってきた。
 帰りは道の駅併設の小菅の湯で温泉&サウナを満喫。入浴中に結構な雨がふってきたが、真夏のサウナ後の外気浴には体感温度が下がって恵みの雨となった。

 笠取山と水干は山が手入れされた山だったし、暑い季節は山頂の涼風と沢の流れに癒やされるとことを感じれた登山となった。

2024年7月21日日曜日

サロマ湖100kmウルトラマラソン(あとがき)

サロマが終わってから約2週間経過後にこれを書いている。そういえばそろそろ記録証が速報から確定になっているだろうか?と思ったら、そうなっていた(グロスタイム 12:40:19)。いろいろ、回想した。

サロマは62キロ超の初大会だった。確かに後半は足の痛みで苦しんだが、なにより・とにかく暑かった。というのが今回の一番の思い出。
実際、完走率も58.8%と低く、これは気温によるものだと思う。

レース直後はやり切った・出し切ったという充足感があった(それはそれでよかったのだが)が、タラレバはないが気温がもうすこし低ければ、走りやすくて且つタイムも伸びとおもう。
そういう意味では、あれだけの気温の中で10時間を切るトップランナーの気力とスタミナは並大抵でなく、自分はウルトラマラソンの順位の中では上位80%程度だ(フルマラソンよりかなり悪い。)。

まだ、やれることはあるのだろうか?
レースが終わってすぐのころは、暑かった中盤の坂道の苦しみや後半の足の痛みから、もうウルトラマラソンは良いかなぁと思っていた。
その痛みが去るとまた走ってみたいと考えるようになり、他の人はサロマ湖をどう走ったんだろう?と、気になってYoutube動画を見たりしていた。すでにサロマ湖ロスなんだろうか。(ちなみに、太ももの痛みはしばらく継続し、フルマラソン後ではありえないほど長引いた。)

レース自体は、やはり気温に合わせて走るしかない。どれくらい後半へ体力を温存できるか?という考え方をベースにしないと、ウルトラマラソンは完走できないことが身に染みた。
だから、暑さがある以上、給水は必須。だからフラスクを携行することは必須だ。今回もおそらく多くのランナーが、エイドの給水だけでは足りなかったのではないかと思う。携行しなかったとすると、エイドで水分を一気飲みしがちだが、それをするのも良くなくて、走っていると胃がガボガボになり、おそらく胃腸がやられる。
だから、エイドではフラスクに水を満たしてもらって、それを(重いけど)持って走りながらこまめに自己給水するのが良いと思った。

一方では、携帯する補給食は課題があった。
スリムかつシンプルにして、軽量化する必要があると。自分はジェルをあれこれと携帯し過ぎてしまい、3本ほどトレランザックに入れて走ったが、結果的に1本の半分しか摂らなかった。
軽量化して、エイドステーションで出される食事をしっかりと摂れるようにした方が、携行物の軽量化と自分への胃腸への負担を減らせる。
また、心配ならば後半のためにドロップバッグに入れておく程度でもよかったと思った。

反省点は以上。
今シーズンの大会出場としてはサロマ湖で終わる。
だから、これから始まる夏のシーズンオフと秋からの来シーズンをどう走るか?と考えて、大会出場を検討したい。そして、その延長線上で再度ウルトラマラソンに出走するかどうか?決めたい。

まず、今シーズンはどうだったのか。
2023秋の出場大会は、9月の東和棚田のんびりRUN(ハーフ)、10月の信濃大町アルプスマラソン(フル)、11月のつくばマラソン(フル)でフルの自己ベストを出せた。
直近の2024春の出場大会は、1月勝田全国マラソン(フル)、2月青梅(30km)、3月東京マラソン(フル)、4月チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン(62km)、5月黒部名水マラソン(フル)と走ってきての、6月サロマ湖(100km)だった。
1月の勝田では事前に体調を崩してしまい中盤から全くレースにならなかったが、概ね良い大会ローテーションだったのではないかと思っている。

来シーズン2024秋の大会は、9月一関国際(ハーフ)、10月水戸黄門漫遊(フル)、11月つくば(フル)とエントリー済み。まずは本命大会11月のつくば目指して調整していくこととなるが、そのあとをどうするか。
以降は未定だが、秋のフルマラソンはいつもどおり2大会走るので、12月は足立フレンドリー(ハーフ)か。はたまた、同日開催となるであろう、12月15日(日)に開催される第7回沖縄100Kウルトラマラソンも気にはなる…。

ただ、財政面も考えないといけない。

サロマは思い切って良い宿に泊まってレースに出た。満足感がたかかったのだが、さすがに毎年出場するのに十数万円を出費しつづけるわけにもいかない。
もし次回もサロマに出走するなら少しは財政を圧迫しない行程を考えないといけない。


ちなみに次回は、8月番外編で長野県上田市丸子で開催される爆水ランという川の中を走る面白いレースに出場しようとしている。もし、気が向いたらそれも書き残そうと思っています。結局、真夏の練習のことは書けていない(考えたくないからか・・)が。

2024年7月20日土曜日

サロマ湖100kmウルトラマラソン2024 後編

 80キロまでは、スタミナ的にも脚力的にもゴールできるだろうか?という不安があったサロマ湖100kmウルトラマン2024だったが、薬で痛みと攣り防止し、やり過ごしながら走れている。80キロのエイドにたどり着き、ここでもオレンジだけを摂取して、いよいよワッカ原生花園内に入る。

 ワッカ原生花園は、細長い砂州にあるので麦乾工場から折り返し地点まで10キロもの長大なスライド区間であり、かつ細い遊歩道なので走路が狭い。また、砂州は平らではなく、小刻みなアップダウンとなっている。もうゆるい坂路を走れるだけの脚力が残っていないので、上りは歩きたくなるし、下りはショックが脚に響くのでまたあるきたくなる。結果、8:00/km台のペースに落ちてしまう。原生花園の中で朦朧とする頭で計算したところ、残り20kmをキロ9分だとギリギリの可能性があるので、9分にはならないよう、走れるところは走って、なんとかトータルで7:00/kmは維持したいと考えて園内を進む。
 見通しは利くので遠くに折り返しの巨大なコンクリート橋(サロマ湖と外海であるオホーツク海を結ぶ水路にかかる橋)が見えるが、全く近づいてくる気配がない。入り口から折り返しまで9キロほどあるのだ。ただ、体感的には1.5倍くらいの距離があるように感じた。これがサロマ湖100kmウルトラマラソンのワッカの厳しさなんだと実感した。

 唯一救われたのは、オホーツク海に近づいたのと時間が15時頃になって気温が下がってきて、前半と中盤での暑さから開放されたことだ。原生花園内では水掛けしなくても十分に走れるようにはなったので、アームカバーと首の冷感タオルを外し、2.5kmごとのエイドでは水分だけ補給して先に進む。
 折り返しの橋は大きく巨大なコンクリート橋なので、結構な上り下りがある。頂上に到達すると左手はサロマ湖を望み、右手にはさらに広大なオホーツク海を一望できる。なお、橋の頂上で折り返すと思っていたが、反対側のグラウンドレベルの砂州まで下り切ってから折り返すので、上りも下りも2回あるのはここまで脚を消耗した身体には堪える。ほぼすべてのランナーは上りを走る脚が残っていないようだった。
 橋を折り返してしばらく走ると90キロポスト。9:00/kmなら18時の制限時間内にゴールできそうだと計算できたが、すべて歩くと9:00/kmはキープできないこともわかっていた。ゴールまで10キロ、脚が残ってくれるかどうか。痛み止めと攣り防止の薬はもうない。
 また、スライドして原生花園内を折り返し地点に向かうランナーが減ってきた。おそらく80キロ地点のエイドでの関門が閉鎖されたんだろう。

 残り時間とか脚力が残ってくれることを考えながら、細かい上り下りが多く辛かったワッカ原生花園をなんとか抜け、麦乾工場まで戻ってきた。ワッカ入り口の80キロのエイドステーションは、スライドして戻ってくるとワッカ出口の97キロのエイドでもあり、そこでオレンジジュースを飲んで残り3キロに臨む。
 ワッカを出ると再び平坦な自動車道なので走りやすくなる。気持ち的には僅か3キロなのだが、一歩一歩の着地衝撃が大腿四頭筋に響き、脚攣りも怖く思ったよりペースをあげられず、気持ちが考えているほどスピードが出ない。
 最後の直線に差し掛かると常呂町の両脇の沿道に多くの人が応援してくれる。一斉の「おかえり〜」コールだ。自分も感極まってきた。
 ゴール会場のDJがナンバーと自分の名前を読み上げて、事前に登録していたメッセージを読んでくれた。
 よく持ってくれた自分の脚。また、今回は胃腸が文句を言わずに100キロ付き合ってくれた。自分の体が本当によく頑張ってくれたと思う。
 最後は常呂町スポーツセンター内にあるゴールに向かって右折し、200mほどでゴールする。12:40:19と制限時間まで20分を切っていた。

 ゴールを切って、泣いてはいないけど、ちょっと涙腺が緩んだ。この感覚はフルマラソンにはない感動だったが、本当に過酷な100kmだった。
 首からフィニッシャーズメダルを掛けてもらう。ちょっと歩いたテントでもらったアイシング用の氷を当てるため腰掛けたがもう前腿が全く動かなくなっていた。立てない。
 本当に気力だけで脚は動いてくれていたのかもしれない。

 その後、もう着替えるだけの力も残っておらず、大江本家の迎えのバスまで足を引きずってなんとか乗り込み(バスの乗降段が上がれない)、宿へとまた一時間以上を掛け戻る。
 宿に帰投して風呂でベトベトの汗を流す。前にも書いたがスタート前と比べて体重が2kg減った。
 すでに宿の食事の時間が過ぎているが、特別な和午前が用意されていた。一杯だけ完走賞のビールを飲んだら、体力限界の疲れと2日間の寝不足による睡魔が襲ってきてすぐに落ちた。

 ワッカもきつかったが、一番つらかったのはフルマラソン超えて60キロまでのアップダウンがあった中盤戦だったと思う。本当に暑く、水掛けしたり氷を貰って腕や脚や頭を冷やした。タラレバはないけど、もし暑さがなければもう少し楽な中盤だったと思う。
 あとは新しい発見もあった。65キロ以降はゾーンに入った様に7:00/kmで走り続けられたことだ(ただし、ペースアップすることはできず同じ7分ペースでしか走れないのだが。)。フルマラソンでは決してなり得ない経験だった。
 フルマラソンとは全く違う世界・感覚があった100キロ完走だった。

2024年7月15日月曜日

サロマ湖100kmウルトラマラソン2024 中編

  朝5時に湧別町スタートなので、事前に3時に宿が用意してくれたおにぎり+簡単なおかずを詰め合わせたお弁当を食べる。朝の3時に起きぬけでなかなか食べれないが、今日はゴールまで胃腸が持つかはわからないので、食べれるときに食べておく。

 宿が用意してくれたバスで3時に宿を出発。まだ日の出時刻前で暗いなか、早朝の信号のない道をノンストップで走っても留辺蘂町から湧別町まで一時間以上かかる。


 スタート会場の湧別総合体育館はすでに多くのランナーで賑わっている。3,000人ほどの100キロ出走者と聞いていたが、フルマラソン大会並みの賑わい。アミノバイタルのテント前でヘイジーさんを見かけて、再び興奮して(一方的な)ご挨拶。その後、20分ぐらい前からスタートグリッドに整列。Cブロックで後方からのスタートだが、ウルトラマラソンなのでネットとグロスの差はほとんど気にしない。そして5:00号砲し、スタート。

 今回はいろいろと考えた結果、完走することを第一目標において慎重に考えた。フルマラソンだったら、欲を出した設定ペースで後半崩れたとしても、なんとか完走はできる。しかしながらウルトラマラソンでは、40キロで崩れたら、まだそのあとに60キロも残っている。長距離になればなるほど、その途中で走りや体調が崩れない、と考えることに無理がある。だから、トラブルがない走りをどれくらいまで後半、もっというと終盤にまで引っ張っていけるかが、重要になると考えた。

 そのために、考えたのが上限心拍数を制限して走る、という方法。一般的には自分の最高心拍数(自分だったら178bpm)の7割から8割で走ることで、より長距離を体力を温存して走れると言われる。
 自分だと、8割なら142bpm。7割だと125bpmだが、事前のジョグや練習で125で走ることは難しいと感じていたので、8割の142を超えないようにして走ることにした(また、心拍には当日の暑さも影響する)。また、ペース設定についてはアート鈴木さんがいう、60キロまでは7:00/kmでよくて、60~80キロまでは8:00/kmまで落としてOK。さらに80~100キロは9:00/kmまで落としてもいい、という話が一番サロマ初心者には合うと考えて、実践することにした。
 ただし、本当にそのスピードにしてしまうと全く貯金がないので、エイドなどでの水分補給や大エイドでの着替えや食料補給に使う時間が無くなってしまうので、それよりも速く走って余裕自分の”貯金”を作りましょうね、という考え方だ。

 自分は50キロまでは6:30~7:00/kmのペースで走り、上限心拍数は142を超えないようにするとして臨んだ。やはり前半は少し上りになると150を超えてしまうこともあったので、その時は積極的には走らず歩いていい、という事にした。フルマラソン距離まではその考え方でおおよそ6:30/kmで走れたと思う。
 ただ実際は、当日は佐呂間町の最高気温が31℃まで達しているし、実際は25キロ過ぎから国道に出るまでの広大な畑の中を走り抜けるとき(時間でいうとまだ8時前だ)から強い直射日光が降り注ぎ、体感気温としてはすでに30℃に到達していると感じるほど、気温条件は厳しかった。

 各エイドステーションや水被りポイントでは積極的に掛水して身体を外部から冷却するようにした(ここで前日に東川町のモンベルで購入したアームカバーと首に巻いた濡らすと冷却効果があるタオルが役に立った。)が、それでもフルマラソンディスタンス以降の中盤は、厳しい走りを強いられた。
 50キロから54キロ地点にある大エイドステーションから61キロまでが一番きつかったかもしれない(同行したランナーにもここで抜かれた)。いま思い返すと佐呂間町に入って10時から11時前後に気温が一番高くなっていて、3回ほどの国道沿いの走路が狭く気を使って走っている中でのアップダウンでは体力がかなり削られたと思う。登りは前述した上限心拍数を極力超えないよう歩きも入れて体力の温存を図るが、ペースが悪化するだけでなく走りのリズムが悪くなり、精神的にもきつかった。

 61キロから先は、下り基調かつフラットになって水辺に近づいて気温も少しだが下がりだす(内陸は暑く、海沿いは涼しい。)。
 フルマラソンを超える長距離走では、上り下りといったフィジカルだけではなくてそれを支える補給をどうするか?も重要なポイントである。
 自分はいわゆるゼリー系の飲料を連続的に摂取することが苦手で、ゼリーを取りすぎると胸焼け&胃が荒れてそれ以降食べ物を受け付けなくなってしまう(ウルトラ系では胃腸がやられる人も多いが、長時間揺さぶられることが原因なのだろうか。)。
 そのためできる限りエイドステーションで"自然なフルーツや食料"を摂取するように努めた。

 これはチャレンジ富士五湖ではバナナとオレンジに助けられ、やばそうなときはガスター10を服用した経験だ。サロマ湖100kmでも、できる限りこのバナナとオレンジを交互に摂りながら進むことにして、胃腸を守り、手持ちのゼリーは本当にエネルギーが切れた時だけに摂取するようにしようと思っていた。
 また、そうしたゼリーやフルーツなど流動系のものは、食事をとった感覚に乏しいと体が空腹に反応してしまうので、咀嚼する食べ物を持参することも重要。なので、ドライフルーツ&ナッツを携行するようにもした。
結果的には持参したゼリー系の補給食はジャム屋のジェル1本のうち、1/3を飲んだだけだった。(わりと自然なものなので、よくあるランニング用のゼリーのような化学合成っぽさはないが、甘さがきついので連続した摂取は厳しい。)。胸焼けと胃腸の調子を崩したとき用にガスター10も持参していたが、途中で予防で1錠飲んだだけで済んだ。

 63キロ過ぎと回想するが、魔女の森と呼ばれるしばらく続く木陰道を走れる場所がある。その森に入り走りのリズムを取り戻し始める。
 しかしながら、走り始めると脚、特に前腿に痛みが出始める。無理はしていないが60キロを走ってきているのだ。たしかこのあたりで、攣り防止の漢方薬(芍薬甘草湯)と痛み止めのロキソニンを飲んだ記憶があるが、その後は淡々と7:00/kmのペースで走れるようになったことに気がついた。エイドでは水・ポカリだけを補給して、他の固形食を取らずにそのペースを刻めるようになっていた。
 いままでだったら、ハンガーノックまでは行かないが、エネルギー切れが顕著になってきて脚が動かなくなってきたり、猛烈になにか食べたくなったりすることが多かったが、今回は違った。糖分を取らずに遅いながらも一定のペースで走行できるのだ。後で思えば、うまく身体が脂肪燃焼モードに移行したのだろうと思う(前夜の風呂場で計測下の比べ、ゴール後は2キロ体重が減少していた)。

 前記のように補給の心配があまりなくなったが、70キロすぎからは脚がゴールまで持ってくれるかどうか?が一番のポイントだった。5〜10キロごとに大腿四頭筋に痛みが走るので10キロ毎にロキソニンを飲んで痛みを抑えた。また、そことはタイミングをずらし、前述した芍薬甘草湯も服用して、脚攣りも防止する。
 途中からは、意識も若干遠のくからか、脚が痛むのか攣りの前兆なのか判断がつかなくなっていたのだが。

 前記のようにあまり取らなかったエイド食だが、70キロ過ぎの鶴雅リゾードのエイドで頂いた冷やしそうめんが美味しかった。塩味が身体に沁みた。
 まだワッカ原生花園には入らない自動車道沿いだが、遠くサロマ湖の対岸にワッカ原生花園を走っている蟻の行列のようなランナーの隊列が見えたが、気が遠くなる。
 途中、ランナーの人と頑張りましょうなどと声掛けしつつ、なんとかワッカ原生花園への入り口である麦乾工場が見えてきた。後編へと続く。

2024年7月14日日曜日

サロマ湖100kmウルトラマラソン2024 前編

  2024年6月30日(日)に開催された『サロマ湖100kmウルトラマラソン』に参加してきた。

 いつかは出たいと思っていた100キロウルトラマラソンに出走した。この大会に出るために昨秋から準備を進めてきた。まずは50キロ練習距離走としてタマリバ50kを秋・春に2回、それに62キロのウルトラマラソンとして、4月のチャレンジ富士五湖ウルトラマラソンの62キロ(河口湖・西湖・精進湖の三湖)を走った。
 ただ、100キロ自体走ることは全く初めて(それまでは72キロの道草マラソンは完走したことが最長)なので、もちろんフルマラソンのペースで100キロを走れるはずもないが、そこからどれくらい落として走るのがいいのか・・?基本的には自主練中心だったので、フルマラソンの2倍以上の距離となるので、いろんな人の経験を見たり聞いたり。また、自分の仕上がりだけでなく、サロマ自体が北海道ではあるけれども、6月(というかほとんど7月)開催のレース、気温がどれくらい影響するのか?Etc.どれくらいのペースで走り、何時間をゴール目標にしたらいいのか?はスタートを切る直前まで本当に悩んだ。

 29(土)。この日は観光を兼ねた移動日。旅の前の興奮もあってかあまり睡眠をとれず朝を迎える。朝イチのAirDoの羽田空港発旭川便。7:00の飛行機に乗るのと、荷物預けする余裕時間も考えると、羽田空港と同じ区内にもかかわらず自宅からは始発に乗らないといけない。なんと同じ飛行機の隣々の席にアート鈴木さんが・・! いつも見てます!お世話になっています!と挨拶・・。そういわれることも多いんだろうけど、こちらはYoutubeで見ているから、勝手な一方的な親近感で感動しちゃいました。9時前に旭川空港に到着。実は女満別におりたかったのだが、サロマの影響で女満別便は満席。そのため、Air Doで旭川に飛んできた。(帰ってきて気が付いたのだが、紋別空港に飛ぶ、という選択肢もあるんですね。)

最寄りのレンタカー店で最新型日産ノートを借り、途中いくつか観光地を走りながら、今回の宿ががあるオンネトー方面に向けて車を走らせる。まず最初は東川町の道の駅へ。何があるわけでもなかったのだが、隣にあったモンベルでの買い物で翌日救われることに。その後、旭川市外にある北鎮記念館を見学。現役自衛官に北海道開拓時代のガイドをしてもらい、ゴールデンカムイに思いをはせる。

 その後、層雲峡にある流星の滝と銀河の滝をみつつ、ちょっと寄り道して三国峠によって樹海を見て、峠にあるカフェで休憩。

 17時に宿である大江本家に到着。良い温泉がある良質な宿。
また、夜はバイキングで食べ放題だが、レース前日ということで肉や刺身は控え、糖質中心に。
20時には布団に入ったが、前日に引き続き興奮してほどんど寝れない。たぶん睡眠時間は2時間も取れていない。 レース当日の中編へと続く。

2022年9月19日月曜日

久しぶりに玄箱を復活させた(純正で。)が、Windows10からつなぐのに一苦労した話

 調べてみると、自分が持っている玄箱HGは2004年に発売されたらしい。もう15年以上も前だ。
15年前といえば、まだWinodwsは XPが全盛期だった時代で、もちろんスマホやタブレットもまだ登場しておらず、ガラケーが3Gになった頃だっただろうか(じぶんのblogを見てみたら、その当時はCDMAのガラケーau A5404Sを使っていたようだ。そう考えるとすごい昔だ・・・。)。
 それでも、2000年前後にPCのインターネットへのアクセス手段が、それまでのダイアルアップ接続からADSL接続への移行が一般化したこともあって、それによって宅内がLAN(ローカルエリアネットワーク)接続できるようになったことで、当時はNASを利用することの走りとなった、と記憶している。(ADSLによって多くのコンテンツをダウンロードすることになったことも。)

 そんな感じでわたしも購入して使っていた玄箱だったが、内蔵したHDDが故障して起動しなくなりその時のデータは飛ばしてしまった。それで、いつしか自分のガラクタ箱に眠ったままになっていた。
 ずーっと通電して使用しているとHDDが故障し、データを飛ばしてしまうことは自明なので、本来であればRAID-1対応の最新のNASに保存するのが正しい道なのだが、それほどのお金をかけるほどに重要なデータ保存でもない。
 ただ、Windows10のPCの内蔵SSDに保存したデータが容量を圧迫してきたので、そうした優先度の低いデータ退避させる先として、白羽の矢をたてた玄箱をなんとか復活させた、という話である。

 玄箱にHDDを入れて、設定用CD-ROMからLinuxを転送してあげればすぐに、ネットワーク上から見れるようになるし、telnetでアクセスできた。
 ただ、問題はそこからだった。
 たしか、Windows7ぐらいの時代までは使用していたはずの玄箱だったが、Windows10になってもう次のOSも出ている時代だ。Windows7から、NASへアクセスする環境がガラリと変わってしまい苦労した、というお話だ。

 

 どうやってもWindows10から玄箱の共有フォルダ(/mnt/share)を認識できなかったのだ。
 少し調べれば、SMB v1への対応が必要であることはわかったので、(1)Windows10でSMB v1を再設定(Windows10自体ではセキュリ上の問題で、すでにSMB v1は推奨されておらず、規定で無効化されているので、コンパネ内のWindowsの機能の有効化から、SMB 1.0ファイル共有のサポート 関連モジュールを明示的に有効化する必要がある。)したり、また、(2)LAN Manager 認証レベルも設定変更が必要、という要点は抑えたはずだった。
 しかしながら、それらを設定しても、なぜか玄箱の共有フォルダへアクセスできない状態が続いたので、それをログとして残しておく。

 まず、(1) SMBv1について。
 前述したWindowsの有効化からSMBv1のモジュールを導入しておくことだけでは、本当にv1が有効しているのか、はっきりしない。
 なので、管理者コマンドラインから、

sc.exe qc lanmanworkstation

と入力し、MRxSmb10が有効化して表示されているか確認します。
表示されなければ、つづけて、

sc.exe config lanmanworkstation depend= bowser/MRxSmb10/MRxSmb20/NSI
sc.exe config mrxsmb10 start= auto

と入力し、コマンドが成功したことを確認してから、PCを再起動してから、最初のコマンドをもう一回流して、MRxSmb10が有効化されたことを確認します。

次に、(2)について。とあるサイトで「玄箱はこれはNTLM(NT LanManager)のv1しか応答できないため、WindowsVista以降でのデフォルトNTLM v2応答だと接続できなくなる」、という情報を得た。つまり、

「手動でLAN Manager 認証レベルを「NTLM 応答のみ送信する」

と変更し、NTLM v1に対応させる必要がある、ということです。
 最初はRegeditでレジストリキーのLmCompatibilityLevelを0とか設定(一番、下位の設定にすれば大丈夫だろう、と勝手に判断していた。)してダメだ、ダメだ・・・、と思っていたのですが、上記の情報を得てLmCompatibilityLevelを2(つまり、NTLM 応答のみを送信する)にしてあげないと、いくらアクセスしても、撥ねられる・・・、という事がわかりました。

 すでにそのプラ素材の劣化が始まっており、HDDを玄箱に入れ直すときに外装が欠けたり割れたりし始めているので、もう活動限界を迎えている玄箱ではあるが、なにかのお役に立つこともあるかもしれないと思い、ログを残しておく。

2022年8月12日金曜日

Kindle(第8世代)のバッテリー問題とか、Surfase GoのNo Bootable Device問題

 まず、Kindle。
 予てよりAmazonの電子ブックリーダーのKindle第8世代を使っている。
 ここ一年弱くらいだろうか、ただしくbattery容量を検出できないのと、バッテリーが異常に減る状態となっていた。
 そのためか、起動のタイミングで「すでにbatteryが0%です」と、表示される状態になっていた。
買ってから結構経過しているので、バッテリー自体が古くなって動作ががおかしい(死にかけている)のかな?と、なんとなく半ばあきらめかけていた。

 

 バッテリー自体の交換ができるのかな?とかポツポツ探していたのだが、そうではなくて、どうやらKindleにバッテリードレインの問題があるらしい、という英語のビデオをYoutubeでみつけた。
 まずは、ビデオの通りリセットを実行してみたり、Kindleはファームウェアについても、調べてみると自動アップデートがOTAで走るようなのだが、自分のKindleでは最新版になっていないようだったので、3月のタイミングで出たより新しいファームウェア5.14.3.0.1も適用して様子を見てみた。(自分のKindleは5.14.2だった。)

 1-2ヶ月様子見したのだが、結局のところ改善せずバッテリーがすぐに0%になってしまう。ただ、不思議なことに「まもなくバッテリーが無くなりますよ。」というダイアログで警告が表示されるものの、OKを押してしておけば、そこからかなり使用できることである。
 なので、実使用上は特に問題はなくて、内蔵バッテリーを2,000円ほど支出して、Aliexpressで購入するかどうか、悩み中。

 つづいて、MicrosoftのSurface Goが起動しなくなった問題。
 No Bootable Deviceと表示され、電源ボタンを押しても起動デバイスが認識できなくなったのだ。子供が高校で使うため、学校で一律に購入したものなのだが保険には加入していなかった。

 それにしたって、子供が内部のデータをブートデバイスごと破壊できるとも思えないので、ひとまずネットをクロールして調査する。
 と、同様な問題が発生されている模様でWindows UpdateでアップデートのUEFI 1.0.34を配布したことでタブレットが起動しなくなる問題のようだ。
Redditにも"Do not take UEFI update 1.0.34 for Surface Go. It bricks your device." と書かれていたり(そんなこと言ったって、マイクロソフトは勝手にアップデートを適用してくるよね?)、ほかにもいくつかの書き込みがあって、世界的?にこのNo Bootalble Device問題が発生しているようだ。

 早速、マイクロソフトに電話してSurface自体のシリアル番号とUEFI画面で確認したバージョン番号(つまり1.0.34)を報告して対応をもとめると、すぐに交換の手続きに入ってくれた。
 後日メールを受信したら、ゆうぱっくの着払いで本体だけ送れ、そしたら交換品を送付する、という指示だった。
 ほどなくしてマイクロソフトからメールが届くので、それに従ってSurface Go本体だけを指定の箇所に送付すると、1週間弱で本体交換が終了した。
 しかしながら、No Bootable Deviceの表示だったので、全く内部のデータはサルベージできないので、本体は起動したとしても過去にローカルに保存したデータは救えなかった。

 マイクロソフトはバグったUEFEを勝手に撒いておいて、本体が起動しなくなったら、まっさらな本体に交換してハイ終了、である。酷い話だ。

2022年2月23日水曜日

ちょっと焦った…歳かな。

 メインのクレジットカード(家電店系)で、その家電店の通販サイトで購入したら、カード決済照会ではねられた。
 なんでだ〜?と思って、よくよくカードをみたら、セキュリティコードを間違えていた。

 あと、バイクの鍵が見当たらなくてガレージに行ったら、バイクに差したままだった(あぶな!)

2021年11月28日日曜日

SR400の車検とオイル交換

 検査切れ一か月を切ったので、ホリデー車検を予約してSR400の車検。
 特に問題も無く、追加費用も無しで無事に終了。(合計34,300円)

 一年点検をきちんと自分で点検することが出来ればあとはテスター屋で光軸調整してもらうぐらいで、ユーザー車検にもチャレンジかもれないな、とは思っていたけど、なかなか事前にちゃんと各種の点検とか、予約を入れるなどしておくことが時間的にもなかなか難しく諦めました。
 収穫として、ホリデー車検でもわりと安価にできることが分かった。

 車検の検査前に聞かれたけど、冬になる前にオイル交換もした(北海道ツーリングから戻って来てからまだ交換していなかった)。
 今回もYAMAHAのヤマルーブ スタンダードプラスで。

2021年11月5日金曜日

トモエリバー

 そろそろ年末なので、手帳を更新しなきゃいけないなと思ってネットを見ていたら、トモエリバーが生産停止れるかも、という事になっていたみたいですね。知らなかった・・・。

 ただ、次のリンクにある様に、巴川製紙所から三善製紙に生産が移管される事になったようです。
 ブランドであるトモエリバーという名前、紙質は引き継がれるという事で、安堵した万年筆ユーザーも多かったのではないでしょうか。
 もちろん私もその一人です。

2021年8月31日火曜日

2021年北海道ツーリング(8日目)

 北海道ツーリング8日目は新日本海フェリーの船上から。朝9:30に新潟西港フェリーターミナルに着岸。
あっという間の1週間だった。SR400も、ノートラブルでよく走ってくれた。外観はボロボロだけど、燃費も上々で良く走ってくれた。
 あとは関越道で東京に帰るだけだ。

 船を下りる前に時間がなかったので、下船後すぐに新潟バイパス近くのマクドナルドでゆっくり朝食をとった。

 朝食をとりながら、目の前のバイパスが混んでいることに気がつく。
 新潟は車線数もそれなりにある新潟バイパスが東西に走っているのだが、車通りがかなり多くて、混雑するようだ。実際、1週間前に新潟港に向かう行きもそうだった。
 道路情報を見るとバイパスの渋滞は新潟西ICまで断続的に続いているようだった。
 こんな街中でバイクで渋滞に巻き込まれたら暑さで死んでしまうのが目に見えていたので、バイパスを使わずに、北陸道の新潟東スマートICから課金することにした。
 高速道をSR400で走るのは走行風と振動で苦痛でしかないので、本来なら60キロぐらいの時速で一般道でのんびりと帰りたい。
 だが、それ以上に本州に戻ってきて暑いので渋滞には極力巻き込まれたくない。だからやむを得ない。

 北陸道に乗ってしまえば高速道路は空いていて、だいたい時速90キロぐらいで巡行したが、暑い。
 谷川岳で休憩すれば少しは涼しいかと思ったが、そこでも暑かった。
 中里サービスエリアで給油して一気に東京まで。15時頃に到着。
練馬ICからは目白通りが少し混雑した。暑さもあってか、かなり疲れた。

走行距離343km

項目金額
ガソリン¥2,024
食費¥450
高速・フェリー代¥5,740
キャンプ場・宿泊費¥0
お土産代¥0
その他¥0
合計¥8,214

2021年8月29日日曜日

2021年北海道ツーリング(7日目)

 7日目は十勝管内の上士幌町の上士幌航空公園キャンプ場を7時にスタート。

 道内のツーリングは今日が最終日で、17時の新潟行きの新日本海フェリーで北海道を発つので15時までに小樽港へ到着する必要がある。
 それ以外は特に予定はないので、四日目に北見で行けなかったトリトンでの寿司を昼食にしようと思う。国道274号線で日勝峠を走るが、カーブが雄大で景色もよく、十勝平野では曇りだったが峠道で標高を稼ぐと運上にでて晴れ、気持ちが良い。しかしながら日勝峠は長い。山道区間だけで100キロを超え、バイクで走ると体力を使う。

 由仁町の川端の交差点まで下りてくると、急に開けるので石狩平野に入ったことがわかる。さらに50キロ国道274号線を走って札幌へ向かう。
途中、なかなか左側にガソリンスタンドがない。300キロ近くなっていたのでガス欠はしたくなかったのだが、かといって右側に入るのも気を使うのでもうしばらく我慢、我慢・・と考えていたら、結局、市内の南郷通に入るまで左側のガソリンスタンドがなかった。
 南郷通沿いのスタンドで給油。最長の322キロ走った。
 峠を走ったので、燃費はやや下がり、31.9km/ℓ。
 いずれにしても、国道274号線を札幌方面へ進む左側にガソリンスタンド作ったら、儲かりそうな気がする。

 トリトンには開店直後の11時過ぎに到着したがすでに長蛇の列・・・。人気があるとは聞いていたがここまでとは・・・。45分くらい待って、カウンター席に着席。
 すべて、オーダーして握ってくれる。ネタが大きくて新鮮。北海道で食べるなら、ウニや貝類がおすすめ。

 生寿司で満足した。小樽へ向かうがやや早いので少し回り道しよう。
 まずは社会人になりたての若いころ住んでいた豊平区にある独身寮へ行ってみた。
 恐ろしいことにもう25年も前のことなのであったが、あまり変わっていない。
 当時は冷蔵庫を使うように毎日通っていた寮の目の前にあったセイコーマートも健在。

 国道230号線で定山渓から、札幌国際スキー場を経由して小樽へ向かう。
 札幌国際スキー場は、シーズンオフで道路から中に入ることすらできず、残念。
 そこから小樽へはかなり急な道であまり気持ちの良い走りはできなかったが、昔の思い出を少しだけなぞることができた。

 小樽運河の近くの有料駐車場にわざわざバイクを止めたのに、運河近くでお土産店を探したが適当なお店が見当たらず。
 物色する場所を間違えたようだ。
 若干のお土産を物産館で購入しつつ、その近くのコンビニで船内で食べる夕食と、飲み物類を買う。
 15時にフェリーふ頭到着。これで北海道ともしばしお別れだ。

 帰りの便でも天気がよく甲板から夕陽を眺めた。水平線上に雲がかかっており、日本海に沈む瞬間を見ることは叶わなかったが、反対側の甲板に出てみると東の空に美しい月が。

 今回の北海道ツーリングは本当に来てよかった。
 新型コロナウイルス感染症のせいで、人との接触は極力避けたツーリングだったけど、逆に仮想空間ではない現実世界・北海道で充実した時間を過ごすことができた。
 また来よう、という希望を持つことができた。
 明日は新潟港から帰るだけ、ということで海風に吹かれながら、そんな感傷に浸った。

走行距離294km

項目金額
ガソリン¥1,597
食費¥4,188
高速・フェリー代¥18,500
キャンプ場・宿泊費¥800
お土産代¥0
その他¥2,498
合計¥26,783

2021年8月28日土曜日

2021年北海道ツーリング(6日目)

 5日目のスタートは、弟子屈町のホテル摩周を7:30に出発。
 かなり年季の入ったホテルでしたが、畳部屋できもちのよい布団で寝たせいか、もう少し頑張れそう。

 ただ、無理してバイクツーリングするのは、事故の元。
昨日途中で考えていたように、明日のフェリーに便変更して日程を一日短縮することに。
 本当はもう一日道東をめぐりたかったのですが、そこは次回に取っておくことにします。 100%北海道を満喫できないけど、20%だけまた北海道に来るモチベーションで取っておいて、道東はあきらめて今日は帯広方面に向かいます。

 弟子屈町から国道241号を阿寒湖方面へ。
しばらく走ると雌阿寒岳を望む峠道に。
 北海道の峠道は、本州の峠ほど急坂とか旧曲線がなく、ゆったりとして雄大なので走るのが楽しい。

 ほどなくして阿寒湖に到着。
 朝早かったせいかまだ土産物店などもこれから開店しようかな、というやや早い時間帯で、コロナ禍のせいか人はまばら。
 湖畔で朝のコーヒーでも飲もうかと思ったのだが、見渡すとなんだか至るところ、俗っぽく観光化されすぎている・・・、あくまで個人的な印象ですけど。
 コーヒー買おうにもコンビニは張り紙だらけでカップコーヒーすら売っていない。
 湖畔もボート乗り場などが迫っていて、そこに人も立っていて湖畔を楽しめるスペースすらない。
 もしかしたらよーく探せば、湖畔にアプローチできるところがあるかもしれませんが、富良野激疲れの再来を予想。
 がっかりが増大しそうなので、早々に立ち去りました。
 今回の北海道ツーリングで、行かなければよかったところナンバーワンだったかもしれません。阿寒湖の人、すまん。

 再び国道に戻り、足寄町方面へ進みます。
 途中、峠道を下る途中でキタキツネを見ました。
 足寄までは結構長い道。だけど、天気は晴れていて暖かいので、昨日走ったオホーツク海岸沿いのように濃霧と鉛色の寒空でないので、元気は出る。
 足寄道の駅で休憩。この道の駅は、結構、人が多かったです。
豆大福が売っていたので、食べました。この界隈は豆が特産品のようですね。

 昼飯は帯広のぱんちょうの豚丼と決めているので、先を急ぎます。
足寄から先は高速道路もあるが、北海道ツーリングでは高速道路は使わないことにしていました。高速道路は周囲の景色が楽しめませんからね。
 足寄からは十勝平野に入ったようで、とにかく広大な農地が広がっています。そんな広大な農地をみているだけで非日常感でワクワクします。

 国道242号線を本別方面へと南下し、池田町でガソリンを給油。
 池田町から進路を西にとり帯広市街を目指します。ほどなくして国道38号線となり、帯広市内へと入ります。
 札幌と同じで碁盤目のように区画が仕切られており、走りやすい。

 豚丼のぱんちょうには11時半間に到着したがすでに10人ぐらいの行列。最後尾で待っていると12時に近づくにつれて続々とお客が並んでくる。
 ほどなくして入店・着席できて、豚丼の梅を注文。(松が一番安くて、竹、梅、そして華と肉の枚数が増えていく。)  もう、美味い、しか言葉になりません。

 そのご、六花亭にいきお土産を購入&宅配便送りし、今度は再度北上してナイタイ高原牧場に向かいます。上士幌の西部の高原に広がる広大な酪農牧場で、景色も素晴らしいですがお目当てはソフトクリームを食べに行くことです。
 帯広から上士幌までは40キロほどあり、途中、駒場白樺並木で写真をとりました。

 上士幌町に入り、ナイタイ高原牧場テラスに。ソフトクリームが旨っ。

 だいたい、いい時刻になってきたので、上士幌航空公園キャンプ場へ向かいます。
 サイト敷地が広大なんで気にはならないんですが、やたらを沢山のソロキャンパー、ファミリーキャンパーがいました。帯広市街あたりから、距離的にちょうどよいのでアウトドア好きが集まる場所なんでしょうか。

 まだ日差しが暑い中、テントの設営してから一旦サイトを離れて、風呂と買い出し。
風呂はふれあいプラザ浴場という町営の温泉施設。またしてもサウナ併設。外気浴はないんだけど、300円の入浴料だけでこんな本格的なサウナを楽しめていいんでしょうかね?という疑問しかない。
 今回のツーリングでは3回も、良いサウナに巡り合ってしまいました。しかも格安で。
 整ってさっぱりしてから、本日も夕飯はセコマ飯である。
 バイクツーリングだとキャンプ用のクッカーとかはあまり持ってこれないので、今回はかなりセコマにはお世話になった。
 米をメスティンで炊いて、レトルト中華丼をかけて食う。それだけで十分うまい。
 セコマがなければ、北海道ツーリングは成り立たないと言い切れる。

 明日は道内最終日。小樽港を夕方出港する新日本海フェリーで北海道をさります。

走行距離231km

項目金額
ガソリン¥1,229
食費¥3,128
高速・フェリー代¥0
キャンプ場・宿泊費¥800
お土産代¥6,780
その他¥0
合計¥11,937

2021年8月21日土曜日

2021年北海道ツーリング(5日目)

北海道ツーリング五日目

 今日は長い一日になりそうだ。雨は降っていないが雲がかかっていて涼しい。
 距離を稼ぎたいので、朝6時にクッチャロ湖キャンプ場からスタート。オホーツク海沿岸沿い国道238号線を南下する。

 海沿いを走り始めてわかったが、雨粒はないものの、霧の中を走っているような感じで濡れる。だから、バイクで走ると7月なのに寒い(停車していれば過ごしやすい気温)。
 そんな天候のせいで、すべての景色がグレーに染まっていて、その風景で、体感的にも一層寒さが増す。
 枝幸、雄武、興部と小規模な街にくると商業施設としてはコンビニとガソリンスタンドと小規模なお店と郵便局があって人の気配はあるが、それ以外は国道沿いにまばらな寒村が点在するだけで基本的には荒野が広がっているだけだ。そんな、オホーツク海岸沿いをSR400でひた走った。
 紋別は比較的大きな町だった。漁業と海産物加工が中心なんだろうと思う。  さらに南下して湧別町までやってきた。
 早朝浜頓別町をスタートして150キロ走ったが、7月も下旬だというのに寒さで体の震えが止まらない。4時間霧の中を道を走ってきたことで、ジーンズがしっとりと濡れたところに走行風があたって、すっかり体の芯まで冷え切っていた。
 中湧別駅跡にあるチューリップの湯で体を温めることにした。時刻は9時半を過ぎており、しばらく待てば温泉施設が開くはずである。

 平日の朝一ということで風呂はすいていた。湯船でゆっくりと体を温まることが出来た。ここにもサウナ施設があったが、冷えている体を湯船で温めるにとどめ、サウナはやめておく。
 このまま網走から斜里・知床方面へと進むことも昨日までは考えていた。温泉に漬かりながら、どうしようか考えたのだが、早朝から走ってきたようなオホーツク海岸沿いのどんよりとした霧の中をひたすら濡れて走るのは気分的に滅入る。
 一旦、内陸の北見方面へと向かうことにした。サロマ湖の中ほどで国道239号を逸れて峠越えする。内陸へ向かうと天気は回復し、晴れて暖かくなってくる。良かった。
 暖かくなりジーンズもすっかり乾いたが、休憩をはさむ。湯船で体は温めたが、疲労がたまっている感じで、いまいち元気が出ない・・・。

 まずは北見では元気を出すためにトリトンでうまい生寿司でも食べようと思って市内に出た。あいにくトリトンは閉まっておりNG。
 いや、体を温める意味では寿司ではなくて、暖かくて消化に良いものを食べた方がよさそうだと考え直して、うどん屋に入ってうどんで昼食を摂る。

 予約をいれて安宿を取り、今日はその宿がある弟子屈町まで走ることにした。
 北見市内でガソリンを入れて、美幌の町を抜け美幌峠からの屈斜路湖への眺望を楽しみつつ、屈斜路湖畔を走りながら、摩周湖へ抜けようとしたのだが、屈斜路を過ぎた川湯温泉あたりで疲労が限界に。無理はできないなと感じ、摩周湖周遊は諦めることにした。
弟子屈町の市内に向かい、投宿。

買い出ししつつ、2回目の洗濯もした。
温泉宿を選んでいたので、熱めの温泉が疲れた体に効いた。
畳に布団がありがたい・・・。

走行距離337km

項目金額
ガソリン¥1,113
食費¥1,531
高速・フェリー代¥0
キャンプ場・宿泊費¥5,750
お土産代¥0
その他¥1,494
合計¥9,888

2021年8月18日水曜日

2021年北海道ツーリング(4日目)

 北海道ツーリング四日目。天塩町の鏡沼海浜公園のキャンプ場から。
 夜の間、雨ではないのだが霧のような夜露のような水滴がテントとタープを濡らしていた。風が酷くなくて助かった。 広げて乾かしてから片付けてスタート。
 すぐにキャンプ場のすぐ近くが、オロロンラインのスタート地点。
 ここから、本当になにもないサロベツ原野が広がる。ほどなくしてオトンルイ風力発電所に。巨大な風力発電機が三十機近くが一列に建ち、プロペラが回転する姿は壮観で、荒涼とした背景のせいもあってか宮崎駿監督の巨神兵を想起させる。

 そのあと、北緯45度線の記念碑を超える。雑な表現をすると赤道と北極のちょうど中間地点になる。ただ、中間地点がこんなに寒々しい景色であるとすれば、この先半分はもっと寒冷気候になるんだね、という事になる。
 だんたん、(時速60キロで)走っても走っても道路を除いた人工物がなくなってくるので、どれくらい進んだのか?という実感が薄れてくる。

 稚咲内という小さい集落の交差点をまがり、海沿いを走る、オロロンラインを離れ、豊富町の中心地がある内陸部へ向かう。
 サロベツ原野は日本海岸沿いに、南北に広大に広がっているが、ちょうどこの豊富町の辺りがもっとも幅が広いかもしれない。
 そんなサロベツ原野の幅が広い部分を横断しきって豊富町の町のはずれに宮の台展望台がある。
 小高い丘の上に3階建て相当の展望塔が建っている。月曜日のせいか観光客は誰もおらず、展望塔が経っている公園の樹木の枝落としをする二人の作業員がもくもくと作業している。
 塔に上ってサロベツ原野を見渡す。人気が無い原野と一昨日までの富良野の富田ファームの人だかりを比較して、やっぱりこっちの方が北海道らしさはあるな・・・、とどうでもよい考えが浮かんだ。

 ここから、国道40号線を北に向けて走り、宗谷本線にある抜海駅を目指す。
 最北の木造駅舎として有名らしい。(鉄道に関係しているなら見ておけば?と昨晩のライダーさんに言われた。)
 途中、広大な牧草地が広がっていて、刈り取った牧草ロールがゴロゴロと転がっていた。
 思い返せば留萌より北側ではそもそも農地が無かった。寒すぎて牧草ぐらいしか育たない、という事なんだろうか。
 そうした冷涼な土地でも酪農を営む人たちがちゃんと根付いているという事が人間の逞しさなんだと思う。

 抜海から、さらに海沿いを北上して宗谷岬と対となるノシャップ岬に。一応バイクを止めてみたものの、あまり何も感じることなくすぐに離れてしまった。
 そこから岬を回って稚内の市内に。結構、大きな町で驚く。駅前も立派だし、とくに漁港が大きい。走り通して疲れたのとスマホの充電が不足し始めていたので、最北のマクドナルドで休憩。小腹も満たしつつ、充電をさせてもらう。(当たり前だがマクドナルドはどこも変わらないので、一瞬で東京に戻ってきた感じがした。)

 そこからさらに宗谷岬までは30キロもある。途中、宗谷郵便局の脇から宗谷丘陵にあがりダートの白い道を行く。白の正体はホタテの貝殻を砕いたものだ。
 ゆっくり行けばSRでも怖さを感じることは無い。宗谷丘陵の景色はこの北海道ツーリングで最も印象に残った景色だったかもしれない。
 人工物も高い木も無く、ただうねうねとした丘陵地帯が続く景色は海外に行くよりも貴重かもしれない。

 宗谷岬へと降りて、最北端への到着を家族に通話して報告して、お昼にする。
 宗谷岬を見下ろす丘の上にある間宮堂というラーメン屋のホタテ塩ラーメンを頂く。真夏なんだが、最北の地はそれほど暑くないので熱いラーメンもうまい。

 最北端を過ぎるとオホーツク海沿いを南下することになるが、今日の宿は浜頓別にあるクッチャロ湖畔キャンプ場にすると決めている。
 夕日がきれいなキャンプ場で有名なのだ。

 途中、猿払の先で国道を逸れると、エサヌカ線という原野をまっすぐに貫く道を走ることが出来る。電柱・電線がないため、原野・道路・地平線という3物しかないのだ。
 これは今回の北海道ツーリングの第二位に入れて良い景色だったと思う。

 エサヌカ線を抜けるとほどなくして浜頓別の町に入る。市街地の西側にクッチャロ湖という湖があってその湖畔にキャンプ場と温泉がある。
 キャンプ場の受付を済ませてサイトに行くとすでに多くのキャンパーがテントを張っている。
 いままでの所より、かなり人気があるキャンプ場の様だ。実際、夕飯用の米を研いでいるときに聞いた話では本州のいろんな所から来ているひつが集まっていて、長逗留するひとも多いような事を言っていた。
 まずテントを張ってから、ガソリンをバイクに入れにガソリンスタンドへ立ち寄りつつ、スーパーで夕飯の買い物をした。その帰りにキャンプサイト近くのはまとんべつ温泉ウイングにて風呂。
 またしても立派なサウナがあり、3サイクル満喫。外気浴はないものの、サウナとしての質は最高だった。
 その後キャンプサイトに戻り、夕飯を作る。曇ってきたのでクッチャロ湖に沈む夕陽を見ることは叶わなかった。

 明日、このオホーツク海沿いをどこまで南下するが、どこまで行くのかまだ決めてはいない。
間違いなく、最長距離を走ることになるので、いずれにしても早朝スタートにすることにはなるので、早々に寝ることにした。

走行距離210km

項目金額
ガソリン¥1,290
食費¥2,614
高速・フェリー代¥0
キャンプ場・宿泊費¥950
お土産代¥0
その他¥0
合計¥4,854

2021年8月13日金曜日

2021年北海道ツーリング(3日目)

 北海道二日目。一日目は若干観光に振った行動だったが、今日からは、最北端を目指して走る。
 上富良野真横に走って深川を経由して日本海側の留萌に抜けたいのだが、南進して芦別・赤平・滝川を抜けるか、北進して美瑛・旭川を通って深川へ抜けるかの2択。
昨晩、風呂に入っていなかったので南進して北竜町で午前中からやっている温泉に入りたいなと思いつつも、美瑛のパッチワークの道と神居古潭に行ってみたかったので、北へ進みまずはケンとメリーの木をみてパッチワークの道を楽しむ。
美瑛の景色をみると北海道に来たな、という実感が湧く。

 旭川の市街を掠めつつ国道12号線を南進して神居古潭に立ち寄る。石狩川に架かるつり橋を渡ると、昔、函館本線の旧線が通っていた神居古潭駅跡が残っている。
 朝早くから掃除をしている人がいて、駅舎も美しく保存されている。
 C57,9600,D51の3両の蒸気機関車が保存されている。こちらは雨ざらしのせいか少々くたびれているが、駅全体が昔の雰囲気を感ぜられる良い場所なので、布巾を通る際は立ち寄ってみることを進めたい。

 深川の市内に入らず北側を迂回しつつ国道233号線で留萌方面に向かう。
 途中北竜町でメロンを打っているお店が街道沿いにあったので東京にお土産で送った。
 留萌までそこそこ距離はあったが、並行して高速道路ができたためか国道は交通量が少なく非常にはりしやすい。留萌の町に入って駅に向かってみた。昔の国鉄の立派な駅舎だがすっかり本数が減ってしまったため、中はガランとしていた。
 留萌からは国道239号線を日本海の沿岸沿いに走らせ最北端まで向かう。国道239号線はまっすぐに、日本海を見ながら雄大に走ることができる。
 途中、羽幌の町で給油とお昼を取るためにストップ。北のニシン屋さんで羽幌丼をいただく。そこそこのお値段で、昨日札幌場外市場で食べた海鮮丼に負けていない。

羽幌丼を食べて出てきたら、バイク乗りの方が話しかけてきてくれて、やはり北へ向かう模様。聞けば同じ日の出公園でキャンプをしていたらしい。
 こんな会話がこれから続いてく旅を支えていくことになるとはこのタイミングではあまり思って無かった。
さらに60kmほど走って天塩の町に入る。道の駅でさっきのライダーさんと再会。こちらはすぐ近くの鏡沼キャンプ場に泊まろうを思うと話したら、相手は稚内まで走って宿に泊まるらしく電話で予約を入れていた。
鏡沼キャンプ場に飛び込みで入る。まだ一組しかキャンプ場にはいなかった。海が近いせいか風が強い。ちょっと曇りの天気で暑くなくてよいのだが、一応タープも張っておく。

タープを張った後、近くの温泉にまず向かった。昨日はシャワーしか浴びていなかったので、風呂に早く入りたかった。海と反対側の陸地側に夕映というホテルに併設された温泉施設があり、ビーチサンダルに履き替えて歩いて向かう。
 温泉にはサウナもあり、人が少なかったので入ってみた。広い露天で心置きなく外気浴も楽しめた。
 きっと今日は良く寝れるはずだ。
 夕飯の買い出しで、さらに歩いて天塩の住宅街方に歩いていくとセイコーマート発見。ビールとレトルト中華丼とサラダを買って、キャンプ地に戻る。
メスティンで米を炊いているときにサラダを肴にビールを飲み、炊けたご飯でレトルトの中華丼を掻き込む。
 明日は、いよいよ最北端の宗谷岬まで行く。隣にテントを張ったライダーさんから、サロベツ原野を望める宮の台展望台と、宗谷本線の抜海駅がいいよ、と言われたので宗谷岬に行くまでに立ち寄ろうと思う。

走行距離240km

項目金額
ガソリン¥1,062
食費¥3,721
高速・フェリー代¥0
キャンプ場・宿泊費¥1,252
お土産代¥0
その他¥200
合計¥6,235

2021年8月9日月曜日

2021年北海道ツーリング(2日目)

 いよいよ、北海道上陸。朝3:30に起床。新日本海フェリーの甲板に出てみるとすでに街が見えていた。天気が良さそうだ。
 フェリーの車両甲板から自走で北海道上陸。SR400二日目ツーリングスタート。
 高鳴る気分を抑えつつ、小樽運河と小樽駅をぐるっと回ってみながら、国道5号でゆっくり向かう。待ち合わせ場所の札幌場外卸売市場へ。最初は北海道の学校に行っている息子と落ち合っての北海道のウニ・イクラ・マグロの3色海鮮丼の豪華朝食。やはり北海道のうには違う。まずは舌で北海道を堪能した。

 国道274号を走り、由仁町を抜けて夕張へ。
 途中寄り道して、少しだけ夕張の市内をみてみたが旧夕張駅跡はまだ良いほうだが、マウントレースイの廃業したホテルの建物はさほど時間が経っていないにも関わらずすでに、廃墟感が出てきている。
 清水沢の駅跡もコンビニとその隣の農産物直売所以外、建物はあるがほとんど人気がない。だんだんと自然に返り始めるだろう。

 その後、シューパロ湖の展望台をみつつ赤平へ抜ける道をそれて、富良野市内へ。日曜日のせいか、富良野市内から冨田ファームへ向かう道が混雑している。
 止まると暑い。天気は良くて嬉しいのだが、せっかく北海道に来たのに、気温が東京並に熱い。
 バイクを止めた駐車場がメロン富田となっていて、なんだかラベンダー感が無くてそれでいて妙に俗っぽい。
 どこにラベンダー畑があるんだ?って探すが、メロンばかり推していて、まったくあの紫色のラベンダー感がない。
 しばらく、敷地沿いをあるいていくと、ラベンダー畑を発見。そこの看板に書かれていたのは、ファーム富田とメロン富田(あとで調べたらとみたメロン、という施設らしい。)は無関係らしい。それにしても、ファーム富田のラベンダー畑は素晴らしかった。一面のラベンダー畑がきれいに・しかも広大に広がっている。
 美しいプロ写真家の写真でしか見ることができないのではないか?と思われるような景色が自分の視界に現実に存在する、という驚きを禁じえない。

 少々、ファーム富田は、その規模がすごい。あまりにも圧倒的なお花畑を見続けて、そして歩きまわりすぎて疲れた。喉を潤して今度は青い池に行ってみた(途中で昼飯を取ろうとして上富良野市街にある食堂に入ったのだが、人が多すぎあきらめた。)。
 25kmほど山の方にむかって車を走らせると有料の巨大駐車場があり、そこから5分ほど歩くと、青い池だ。ここも写真のようにとにかく透明で、まったく静止した水面が美しい池の水と水面に突き出た枯れ木が、独特な生命感のなさを見せている。写真を取ると風景はきれいだが、休みなんで人が多い。対象的に撮っている人たちの方を写すべきだったかもしれない、と思うぐらいに。

 そろそろ、今日のキャンプ地である上富良野方面に戻りつつ、もう一箇所の観光地である四季彩の丘に立ち寄ってみた。
 乱暴な言い方だが、ファーム富田はちょうどよい大きさの花畑だとすると、四季彩の丘は広大な北海道の大地を花畑にしてしまったようなものだ。(ちなみに、無料ではない。)
 美瑛の丘陵地帯にそれを作ってしまったため、花畑を写すと映えるのだが、歩くとひどく疲れる場所でした。
 いや、今日あちこち周りすぎた私が疲労してるだけなのだろうが、正直観光地をいくつも巡ってしまって、もう人の多さに辟易していたのだ(せっかく北海道に来たのに、人の多い場所に居る、というのは本当は避けたかったのだが、日曜日であったためやむを得なかった。)。

 四季彩の丘のアップダウンを一巡りし早々に退出。日が傾いてきたのを潮時に日の出公園キャンプ場を目指す。途中、セイコーマートで夕食の買い物をして日の出公園キャンプ場にキャンプイン。キャンプサイトはそれほど広大、というわけではないが十分に広く、他にキャンパーの人がいても隣が気になったりはしない。
 800円は、このあと道内で巡ったキャンプ上の中では一番高かったが、きれいな芝生サイトを使えて翌朝ゴミも出せれば、本州のキャンプ場と比べたらまったく安い。
 なんとか、暗くなる直前でテントとタープを貼り終えた。ただ、日の出公園近くにある温泉に目をつけていたのだが、暑さと昼間の行動で疲れ切ってしまい、その温泉にも行けず、キャンプ場内でのシャワーを使い、コンビニ飯にて終了。明日からは更に最北端を目指してバイクを走らせる予定だ。疲れのせいで寝付きが良かった気はした。

走行距離266km

項目金額
ガソリン¥1,045
食費¥9,690
高速・フェリー代¥0
キャンプ場・宿泊費¥800
お土産代¥2,633
その他¥100
合計¥14,268

2021年8月7日土曜日

2021年北海道ツーリング(1日目)

 SR400で、2021年7月17日(土)から7月25日(土)まで7泊8日で北海道ツーリングの記録です。
 日記として残します。(記憶をたどりながらアップデートしていきます。)


 初日は、まずは新潟港のフェリーが12:00出港のため、10:00にフェリー乗り場到着を目標に、まずは関越自動車道で移動します。
 自宅からだと350kmくらいありますので、朝は5時前にスタート。環七から目白通りを経由して練馬ICへ向かいます。早朝の都内一般道は渋滞もなく、順調に関越道に。
 ただ、高速はひたすらに90キロくらいでの巡行を強いられれるので、SR400だと辛い。もし、次回チャンスがあれば、大洗港からフェリーに乗りたいですね。途中、赤城高原SAで休憩と給油、越後川口SAで休憩を取りました。

 新潟西港近くのコンビニで昼食用にトンカツ弁当と飲み物を購入。そこでヤマハのバイクに乗っている方から話しかけられた。こちらは初乗船前でやや緊張しているものの、その方はちょくちょく北海道ツーリングに来ているようで、まだ早すぎるなぁとしゃべったりしつつ、相次いでフェリー乗り場に向かいます。
 だいたい時間通りの10時前に到着。コロナウイルス対策で、事前に受付に出向いて検温してから、乗船待ちのバイクの車列に並ぶ。

 社会人になったときに札幌に住んでいて、最初に買った車で2,3回は新日本海フェリーで乗ったことがありました。その時は本州側に帰ってくるのでそれほど思いもありませんでした。(むしろ北海道を離れる時の感傷はありましが。)
 今回はバイクでツーリングするために北海道をに向かう、という高揚感とドキドキ感がフェリーへのスロープを上がる際は最高潮に達しました(メットの中で一人、叫びました。)。
 ただ、個人的な感傷に浸る暇もなく、出港前に速やかに車両甲板内でバイクを固定しないといけないので、テキパキと係員に誘導され、バイクを停車し、ローギア&ハンドルロック。
 一泊分の着替えだけをもって船内へ。このときにサンダルも持って行くべきだったが、忘れていました。
 船に乗ったらすぐにお風呂に行ったほうがいいと、ネットで読んだ気がしたので、朝から走りどおしで汗を流しに、即座に5解の大浴場に行きました。

 船がゆっくりと新潟港を出港するのを見届けてから、すこし遅い昼食をコンビニ飯で済ませます。外洋にでてしまうとケータイの電波が圏外になり通信できません。
 最近の航空機だったら衛星回線でつながるWi-Fiサービスを搭乗機内で提供しているくらいだから、快適なネット環境があれば退屈しないよな、と思っていたのですが事前に調べてみると、外洋では圏外になります、という新日本海フェリーのホームページの記述を見て、ケータイ回線を使ったWi-Fiサービスなんだなと思っていたので、なにか暇つぶしの本などがあるといいですね。もちろん、ぼーっとする方がむしろ非日常感を味わえて良かったです。キンドルに入れた本を2冊読みました。

 この日は天気が良くてほとんど海上に雲が出ておらず、日本海に沈む夕日を見ることができました。19:00過ぎに西の水平線に沈んでいく夕日を見る人で甲板が満員に。
その後、船内レストランで夕食にザンギ定食をいただき、朝早かったので20時に就寝。
 いよいよ明朝、北海道は小樽港に上陸です。

走行距離340km

項目金額
ガソリン¥2,142
食費¥1,921
高速・フェリー代¥24,870
キャンプ場・宿泊費¥0
お土産代¥0
その他¥0
合計¥28,932