1998年3月31日火曜日

【昔の日記再投稿】(Australia) 仕事ではまって

 今日は月末(日本だったら、更に年度末)で、昨日言われていた通り、ヤマハのセクションを手伝うことに・・・。

 ヤマハは、月末に注文が立て込んで入ってくるんで忙しさは半端じゃないんだよね。で、やっぱり入ってきた注文が半端じゃなくて、とてもその日に全てさばける量じゃなかった。先月もやっぱり月末にヤマハを手伝っていて、会社を出たのが22:00。

 「何てこと無いじゃん」とか日本だったら思うけど、オーストラリアだったらまさに異常事態。

 というのも、オージー達は明日できる事は今日しない、というスタイルなのだ。だから、定時の4時になると皆帰ってしまう。

 でもさすがに今日は、絶対10時には帰れないと分かっていたのか、ライが夕食はマクドナルド出すみたいなこと言ってたから珍しい。とにかく、商品をピックアップし続けたけど結局システムのシャットダウンが23:00にあるとかで、途中でタイムアップ。会社を出たのが23:30で家に着いたのが0時過ぎ。

1998年3月30日月曜日

【昔の日記再投稿】 (Australia) 時差とナポリタン

 また一週間の始まり。ところが今日は目がぱっちり覚めた、これは俺にとってすっごく珍しい事なのだ。

 帰りの車を運転していたら、あっという間に日が暮れた。珍しくライトを点けて帰ってきた。

 これらの原因は今日からと言うか、厳密には日曜日からなんだけど標準時間に戻ったからだ。いつもは12過ぎに大体寝ている。それが、昨日の夜は11過ぎに眠くなったから、体は1時間の時差にも敏感に反応しているみたい。

 かといって、海外旅行に行った(アメリカとかね)後みたいな猛烈な時差ぼけではなくて、「なんか変?」みたいなものだけど。

 やっぱ元の時間に戻ると、日が落ちる時間が6時くらいになるから「ああ秋だなぁ」って思う。帰りの車の中でもルームミラーに写る夕焼け曇があまりにも奇麗で振り返ってみていたら、青信号なのに止まったままだったりしてね・・・、明日で3月も最後か。

 晩飯は、スパゲッティナポリタン。得意作です。

1998年3月29日日曜日

【昔の日記再投稿】(Australia) もったいない日曜日と読書

 いやー、今日は本当に書くことが無い(^^)。

 のんびりと言うかだらだらしてしまってます。

 昨日の晩に、推理小説を一冊読み切ってしまって(阿井渉介著・黒い列車の悲劇)、出かけるつもりが昼までだらだら。

 朝の4時近くまで読み耽ってしまった。俺は、一度読み出すとどうにも止まらないのだ。でも、4時なんだけど今日の午前0時に標準時間に調整して一時間戻ったので実質的に朝の5時。これじゃ朝早くおきれるはずも無い。

 で結局、また違う本をもう一冊読みきってしまったという・・・(田原総一朗著・メディアウォーズ)。

 ああ、自己嫌悪に陥る。

1998年3月28日土曜日

【昔の日記再投稿】(Australia) お勧めパスタのレシピ

 珍しく、12時まで寝ていた。最近夜涼しくなっていて、今までは窓を一日中開け放しておいたのだが、ベッドルームの窓を閉めた。

 そのせいか、ぐっすりと眠れるようになった。ベッドは一人暮らしにもかかわらず、クイーンサイズを入れている。

 これは、ゴロゴロ出来るからに他ならない(^^)

 今でもそうなのだが、ベッドのあのなんともだらしのないフワフワ感が嫌いである。全身が沈むような感覚。朝起きると体が痛い(なんか筋肉痛のような)ときもある。背骨が曲がりそう。

 今日の夜飯はよく作る、トマトパスタにした。

 自称「太陽のパスタ」、その料理法を紹介しよう~。


材料(2人分):

  • トマト2個-やや若いものの方が良い。
  • パスタ-細目の方が良い、バーミセリをいつも使っている
  • にんにく1片か2片
  • オリーブオイル
  • フレッシュチリ(無ければ鷹の爪)2本
  • きざみパセリ

料理法:

  1. トマトはさいころ状に、にんにくとチリはみじん切りにしておく
  2. 熱湯に塩を入れる。普通のパスタを茹でる時よりも塩の量を多めに。塩味が分かる程度、これが難しい。
  3. 小さくて厚めの鍋の底に少し溜まるくらいにオリーブオイルを入れる。少し多いかな?と思う程度。気になる時は、 Extra Light Olib Oilを使うと良いかもしれない。弱火でオリーブオイルを温め、じっくり焦がさないようににんにく・チリを炒める。決して急がないように、油ににんにくエキスが染み出すのだ。
  4. にんにくがキツネ色になったら、さいころ状にしたトマトを入れ強火でグツグツ煮込む。強火で煮込むのは油とトマトが分離しないようにするため。
  5. パスタを茹でる。アルデンテにする(中心にわずかに芯が残る)。スパゲッティの湯で汁をオタマで2杯ソースに入れ、ソースを更に弱火で少々煮込み、パスタに掛ければ出来上がり。

非常にシンプル飽きないし、だから肉料理とか似合うかもしれない。お試しあれ。

1998年3月26日木曜日

【昔の日記再投稿】(Australia) 憂鬱な英語レポートとばら色の香港

 昨日今日と、帰ってきてから英語のレポートを書いている。いちおうこの研修では日本側に出す日本語レポートと、この研修が終了するまでにこっちのNWTに出す英語のレポートがあるのだ。

 当然英語の方が気が重い・・・。まぁなんとかなるでしょ!と、思っていると時間ばかりが過ぎていく・・・。

 あと、オーストラリアにいれるのも4ヶ月となってしまった。毎月月末にあと何か月、何箇月と考えてしまうのだ。

 話は変って、4月上旬のイースター休暇の香港のホテルを友人に予約してもらった。というのも、日本から予約するより安い値段でしかも格上のホテルに泊まれるのだから頼まない手はない。

 NHKニュース(なぜかこちらでも、翌日早朝に見れる)でも言っていたが香港を訪れる日本人観光客が激減しているそうである。どうも昨年6月の香港返還での観光ブームでずいぶんと値を吊り上げたのが、原因にあるようだ。

 ホテルの多くは日本人に対して高いレートで出していたそうである。どうも、香港は高いと言う既成概念があったせいか東京での値段を聞いた時、「まぁそんなもんかな」と妥協しそうになったのだが、地元人に言わせるとずいぶん高いそうだ。

 明日はマスコットに行くことになっているとマイケルは行っていたが、音沙汰なし。なし崩し的に行けなさそうだ。いつものことだが。

1998年3月25日水曜日

【昔の日記再投稿】 (Australia) 給料日から文化について触れる

 今日は日本では一般的に給料日だが、こちらにいると全く関係ない。無くはないのだが(もちろん俺の給料が日本の口座に振り込まれていなかったら大問題だけどね)、遠くにいるとなんだか疎くなってしまう。

 そもそも、この様な現実感の無さは全く言葉も文化も違う国で突然生活する羽目になったことに(もちろん望んで研修に来たんだけど)起因すると考える。

 これは金銭に限らず、困ったことに普段の生活や会社のスタッフとのコミュニケーションにも現れてしまう。例えば、会社でスタッフと業務のことを話していてもどこか現実的で無いような気がしてしまう。もちろん向こうは真剣なのだが。だから片言ながらも英語を話している自分に対しても、現実離れと言うか夢の中にいるのではないかと言う気もするのだ。まぁ現実的で無いため積極的に成れるのも副作用的な利点だが。

 日本に帰ればまた(嫌な)現実が嫌でもやって来るのだからその時に今の出来事が夢だったと気づくのだろう。

 今日は、日本のNにちょっとした物を送っておいた。突然着くだろうから、リアクションが楽しみだ。

 それから4月の上旬に、鉄道の貨物ターミナルを2件ほど見学できることになった。前々から興味があっただけに楽しみ♪

 明日は、ちょっと仕事を残していただけに8時にはオフィスに着いて仕事を始めていたいものだが・・・。どうなるかな。

1998年3月24日火曜日

【昔の日記再投稿】(Australia) 残業って疲れる・・・・

 滅茶苦茶疲れた一日だった・・・。昨日の続きを書こうと思ったが、第2回の私の職場紹介は延期にしておきます。

 帰ってきたのが7時過ぎていたから、2時間半くらい残業したかな。というのも、リムーバルのオフィスのS氏から電話があって、今そっちの倉庫(俺がいるところ)にある荷物を調べてくれ。数が合わないんだと言われ、一生懸命確認していたんですね。

 それも重い荷物が3パレットも。せっかくラップしてあるものを引き剥がし、また後で積み直し、ラップ巻き直し、はたまたフォークリフトで棚戻し。全部自分でやったのです。自分の仕事が終わってから。(おっと、愚痴の日記になってきた・・・。)

 でもこれが自分一人でも出来るのも各部門で修行を積んできた成果かもしれない・・・。

 あとは、帰ってきて途中で買い込んだピザを食べていつのまにやら電気を点けっぱなしで寝ていたという・・・、はぁ~ぁ、ってな一日でした。

1998年3月23日月曜日

【昔の日記再投稿】 (Australia) 今の仕事ってのはこういうこと

 日記というのは書くことがないと非常に困るものだということを昨日改めて実感。

 今日は俺が働いているところについて。

 今はシドニーの市内から車で西に30キロほど行ったところにある倉庫で働いている。一応市内近くにも倉庫があって以前はそこが本社倉庫だったのだが、今は業務拡張に伴なってより大規模な倉庫が必要となり移転した。

 まだ1年もたっていない出来たばかりの倉庫で、クライアントの商品のストック及び配送が主な業務である。クライアントは日曜大工関係から、医療品、楽器、家電までいろいろなものがある。そこに俺は物流研修生として、日本から来ているわけだ。

 こちらに来たのは1997年の夏(日本の夏ね、こっちは冬でした)だから、すでに8ヶ月いたことになります。その間各部署を、渡り歩いてOJT(On the Job Training)で実際に働いて体で覚えているわけです(^^)。

 この続きは、また明日。

1998年3月22日日曜日

【昔の日記再投稿】(Australia) シドニーのPC事情

 ん~、今日は本当に何にもしなかったなぁ。午前中に、SCSIのPCカードを物色しに行ったくらいであとは、午後本を読んでウダウダと。

 それにしてもオーストラリアはコンピューター屋でろくな所がない、品揃えに多いに不満。やっぱりまだまだ先進国じゃないんだなぁとかはやや考え過ぎだが、日本の便利さを考えると不便な点はまだまだ多い。

 CD-ROMドライブを持ってきているのだが、カードがなくて持ち腐れ状態なのでカードが欲しいのだ。また、デジカメのように日本からインターネット使って輸入するか・・・。

 それにしても今日はいい天気で、今でも部屋の中が暑い。このアパート、こっちではフラットって言うが、はレンガ造りで、まるでオーブンの中にいるようなもんだ。だから夏場は非常に辛かった。

1998年3月21日土曜日

【昔の日記再投稿】(Australia) 休日を過ごす

 昨日の日記を今日の早朝に書いてから再び寝たので(文章で書き記すのは非常に分かりにくい表現だ)9時に目が覚めた。

 ふだん土曜だと昼近くまでウダウダしていることが多いのだが、今日に限って良い調子で目覚めた。平日には絶対ありえないし、土日でも珍しい。

 本当は先週メチャクチャ仕事で疲れていたから、昼ごろまで寝ていたかったんだけど体が起きろと要求しているみたいだ・・・。

 昨日(現実には3,4時間前)の日記を書いていて日付を見て思い出した、「やばっ!」と・・・・。Nの誕生日だったのだ昨日は。

 すっかり忘れていた電話するの。

 時差が2時間あるので日本に朝方掛けて、「たたき起こすのもなんだしなぁ」と思って昼に電話することに。

# いつも夜中にたたき起こしているから朝方に報復攻撃を掛けるのも悪くない。

 朝飯代わりにマックに出かける。いつも文庫本を持っていって読みながら朝食を摂る。今日は村上龍の「愛と幻想のファシズム」。

 上下刊2冊構成のフィクション。まだ上巻の半分ほどだが余りに現実離れしすぎていて話に無理があり、正直言ってストーリー自体もそれほど面白くないのだが、外国に長くいると(と、言ってもまだ半年強なのだが)活字に飢えてくるのだ。だからたとえば一週間前の日経新聞があっても隅から隅まで、広告のコピーまで読んでしまう。

 ということで、今その本を読んでいる。ストーリー的には今の日本の平成大不況のような時代が舞台で、若きファシストの主役が世界を相手にしながら、日本を全体主義に巻き込んでいくというもの。つまらん。

 飯のあと、シティのGPO(中央郵便局)に電話料金を払いに行く。先週忙しすぎて、郵便局にさえ行けなかった。日勤だとこういった公共料金関係とか銀行間係・役所に困る。

 GPOは土曜に午前中だけ開いていると聞いたのでわざわざ払いに行ったのだ。ちょうどマーチンプレースの立派な建物は工事中でピットストリート沿いのオフィスビルで仮店舗が営業していた。こっちの郵便局はいろいろな郵便関係のものを置いてあるので結構便利だ。

 そのあと日本の本屋に行く。ロックスのOCSに良く行くのだがどうも3末で閉店らしい。半額セールをやっていて、まぁそれでも日本の定価よりちょっと高いのだが、文庫本を数冊買っておく。しかし目当てのPC雑誌がなく、聞いてみてもどうやら入荷しないとのこと。

 日本食料品店に行く道すがら、ノースにある紀伊国屋に立ち寄ってみることに。以前行った時はそれを置いていなかったのでOCSで毎月買っていたのだ。行ってみると、しかし数冊置いてあるので入荷するようになったのだろう。これで帰国まで毎月読めそうだ。

 で、食料品を買い込む。これが独身の辛いというか面倒になるところ。特にこっちにいると、なかなか日本のように口に合うものがすぐ手に入らないため、食事さえ面倒になってくる。「どうして人間は3度も食事をするんだ?」と思うことしばしば。

 午後は、家で洗濯をしつつ雑誌を読みながらゆっくりした(^^)。

1998年3月20日金曜日

【昔の日記再投稿】 (Australia) 仕事と疲れと睡眠と

 今は朝の5時・・・・(土曜日)。

 昨晩疲れて、多分8時ごろ寝てしまったのだろう、飯も食わずに。

 忙しいには忙しいのだが、今日(金曜日のことね)はなぜか疲れがとれないまま出社していた。よって頭はずーっとぼーっとしており、いつもよりも仕事の能率が悪い。輪をかけて金曜日は出荷が多くてオーダーが多かった。仕事のことはぐだぐだ書かない、というか後になって思い出したくはないので、多くは書かないけど(これじゃ説明にならないね)、まぁ今日ははまった一日だったのだ。

 帰りの車の中も何かボーッとしていてフラフラ運転していた気もする>危ないぞ。

 で、帰ってきてメールをチェックして(これはいつもの習慣なの)いつのまにかベッドで寝ており、夜中の3時過ぎに腹が減って起きてきたというわけなのだ。

 こういう事って、最近なかったなぁとおもう。こっちに来る前札幌では仕事が不規則な時間(別にプー太郎とかそういうのじゃないんだけど)だったので、結構夜中とか起きていたけど、こっちに来てから日勤で毎日規則正しく生活していたんだなぁって思う。

1998年3月19日木曜日

【昔の日記再投稿】(Australia) オージースタイル?はマイペーススタイル

 オージーってのはどうしてこうもまじめなんだろう?

 のっけから?マークな切り出しでしょ。まじめなのは帰る時間。仕事をマイペースでこなしつつちゃんと定時に帰る。

 

もちろん仕事が残っていても帰る。これがオージースタイル。

 今倉庫のオフィスで、コンサイメントノート(送り状)とラベルの登録をしているのだが、これがかなり忙しい。とにかく倉庫から、発送するすべての荷物の出荷を一手に管理しているから、全て俺のとこを書類が通っていくわけだ。

 まぁ大体朝10時ごろが忙しい。これは大体納得がいく、朝一で始めた仕事がドバッと来るからだ。そして、一番のピークが3時過ぎ。

 うちの倉庫は8時~4時のシフトになっている(トランスポートとかはまた違うんだけど)。だからその日の仕事が見えてくる3時過ぎにどんどんと俺のところにPaperWork(書類)が送られてきてみんなが「早くコンノートとラベルよこせー」といってくる。定時に帰りたいからだ。

 もちろん俺も根っから優しい性格だから(本当だよ!?)、ハイハイと言いながらどんどん仕事をするが、これまた桁外れに皆同じ事考えているので、処理の限界を超えている。

 3時半を過ぎると、「早くしろー」コールはもう2,3分おき。

 まぁ俺も慣れているから、「ごめんねー遅くって」とか言いながら、内心(順番にやっているんだバーロー、手前が自己中心的なんだよっ!)とか考えながら一生懸命やっている。

 んで、もって4時5分前とかに俺が汗水たらしながら仕上げた書類を渡すと・・・・、「明日でいいよ、俺4時に帰るから!」

 「なめんなー!テメェーが今日中に出したいとか言っていたんだろうがっ!」

 # そうは言っても内心切れただけで、口では言いません。

 これはうちのマイケルのお話でした。

 で、4時になるとまるで潮が引くようにアッという間に人がいなくなるという・・・。

 え、おれ?

 もちろん残った仕事をちゃんとしてます、日本人の悲しい性で。

 最近なんか昼飯の時間短縮してまで仕事しているし。それでも終わらないんだからしょうがない。

 話かわって、今日の夕飯。

 昨日は疲れて、何にもしなかったので今日はいろいろ(でもないけど)作った。

 スパゲッティーナポリタン、ほうれん草ソテー、鮭缶の大根おろし添え。

 え?ぜんぜんいろいろじゃない?

 良いのです、主観的にいろいろなのですから、ハイ。

1998年3月18日水曜日

【昔の日記再投稿】(Australia) 香港航空券予約OK

 今日も引き続きどっと疲れて帰ってきた。もう今日は、夕飯を作る気力も無く、帰ってきてソファでうとうと・・。

 10時ごろ腹がへって起き出し、しょうがないのでマクドナルドでハンバーガーを買って食べるという、独身生活にありがちな貧しい食生活となりました。普段は、夕食だけは作るようにしているのですが、毎日こんな生活していたら体は持たないなぁ。

 毎日、仕事をぎりぎりのところでやっていて、急かされながら(^^;)やってます。という事で定時に終わること無く、大体2時間くらい残業してます。かといって、研修生で来ているので超過勤務がつくことはないのですけど・・・。

 なぜか昼間に阿多社長と空港近くの引越し部門のオフィスから清水さん(同姓)が来ていて何やら見学していきました。やっぱりこっちにずっと居るという清水さんの英語は改めて上手いと思ったのでした。

 帰って来て、ブレーカウェイトラベルから予約した航空券の詳細と金額がついてました。H.I.S.だと、4月のイースターの頃の香港往復がA$1400で諦めていたところがA$580で採れたので、第一希望ではないのですが安くていいかと、自分を妥協させてとったのです。香港には同期の研修生が行っているので、そいつの職場見学と観光を兼ねて行ってこようという魂胆です。

1998年3月17日火曜日

【昔の日記再投稿】 (Australia) やっぱり高い国際通話

 とりあえず、仕事で死んだぁ~。忙しかったぞ、無茶苦茶。と言っても日本ではこんなの仕事のうちに入らないかもしれないけど・・・。それでも今日は2時間残業。なんか新しいクライアントが入って、その分の仕事が丸ごと増えた。これ毎日だったら、たいへんだよ本当に。明日からそうなるのかぁ。ますます行くのが嫌になりそう。

 早速弱音吐いています(^^;)>。で、帰ってきてテレストラ(Australia版NTT)から請求書が来ていてみたら、A$256.00!!

 記録更新・・・・。結構、日本に掛けたからなぁ。来月はA$150.00くらいに収めるように努力しないと・・・、しゃれになりませんね。もしこれで、メールとかWEBが無かったらもっといっているよ絶対に。

 今日は夕飯に、ステーキを作りました。でもこっちではぜんぜん贅沢じゃないのです、ステーキは。むしろ手抜き料理にでも入るかも?

 だってさ、「1グラム=1円」くらいだよホントに。自分で本を見ながらソースまで作ってしまって、なかなかの出来に仕上げることが出来ました。

1998年3月16日月曜日

【昔の日記再投稿】 (Australia) 風邪ひいて

 今日は朝から体調が悪くって会社を休んだ。

 喉が痛くって、体がだるい。先週鼻水が出っ放し(^^)だったので、風邪だとおもう。今日は一日大人しくしていようとおもって、WEBを見ながらのんびり過ごした。

 でも、ずーっと家にいるとなんか考え方までマイナス思考になってくるね。「あー、もっとこうすれば良かった」とかいろいろ考えちゃいました。

 しっかし、昼間に4、5本電話がかかってきたのには正直驚いた。一人身でこっちに来てから間も無い(先も無いけど)のにね。いっつもそうなのかな?留守電がいるのかなぁとか、本気で思った(絶対買わないだろうけど)。

 午後電話が入って、香港の往復航空券が第二希望でブッキングできたと連絡が入って、ホッとする。でもなぜか帰りは第一希望のままなので、自分が頭の中で考えていた予定より一日延びる!?

 でもこの時期に取れた(ちょうどイースター&学校がお休み)し、安いとのことなのでまぁよしとする。

 夜は、いつものトマトでパスタを作って食べ、ビデオにとったギフトを見て1時に寝た。

1998年3月15日日曜日

【昔の日記再投稿】(Australia) 雨

 朝から雨が降っている、これって結構珍しい。オーストラリアの雨ってザッーと降ってぱっと止むパターンが多い。

 午後から、朝から何にも食べて無かったので会社の近くの行き付けだった中華料理店に食べに行って、ついでに買い物をして(野菜とかね)、それから兼ねて見に行こうとおもっていたタイタニックに行ってきた。結果から言うと良かったです、かなり。 CGでほとんどこなしていると聞いていたのでどのほどの出来なのかと思っていたけど、途中からは話の方に引き込まれてしまってた、すっかり。話は、タイタニックで救出された、女性がいまおばあさんとなって語り掛ける形式で進みます。途中涙が出てしまうぐらい感動しました、久しぶりに。乗員と乗客が全員死んでしまうのが分かっているので、余計に途中のいろいろな努力がなんか辛い。

 最後のシーンでジャックが沈んでいくところは何とも言えない気持ち。

 うーん、これはお勧めの映画でしたね。先週も実はThe Replacement Killerというのを見に行ったんだけど、こっちはすかっとするアクション物でまぁ、面白いけどすぐ忘れちゃうタイプの映画。

 しっかし、タイタニックはカップルで見に行くタイプの映画だね、やっぱりさ。

1998年3月14日土曜日

【昔の日記再投稿】(Australia) ホームパーティ

 贈ったプレゼントは着いたようだけど、中でマグカップが2個割れていたそうだ。ちょっと小さ目の箱に無理矢理詰めて送ったのがいけなかったか。でも、メインのお皿は割れてなかったようなのでよかった。

 スタッフの人が寝坊して結局朝から会社には行かずに、お昼からJR西日本のNさん家に昼食を招待されていたのででかけた。NさんはJCTに出向できていて、奥さんと生後5ヶ月の子供がいる。

 クレモーンにフラットがあって結構なかは改装したのか奇麗。今日はほかに、こっちに来て1年が経つJR東海のAさんとその奥さんと1歳の子供、それからつい先日赴任したばかりのJR東日本からJENTOに出向できている新婚ほやほやのFさん夫婦だ。

 ほとんどの人が、結婚して間も無いか2年以内でほとんど新婚。しかも子供もまだまだ小さいとあってすっごくほのぼのした雰囲気であった。話題も子供がアーダコーダという話が多かったし。別に嫌いじゃないし、後々ためになりそうでしょそういう話題。

 結構意外だったのが、夫婦の年齢の話。3組中の2組は奥さんの方が年上。そういう方が上手くいくのかなぁなどと納得した。

 今までこういう友人というのがいなかったこともあって結構新鮮な一日だった。

1998年3月13日金曜日

【昔の日記再投稿】(Australia) 暑いオーストラリア

 今日は滅茶苦茶忙しかったぁ。飯食ったわずか15分程度の休みを除いてほとんど椅子に座りっぱなしで、ひたすらディスプレイを見続けていたという・・・。
 途中でなんだか気分も悪かったしなぁ。ずーっとクーラーの効いた部屋にいたせいか風邪ひいたようで、鼻がグスグスいってます。一週間の最終日ともなると、疲れも溜まるし辛いね。あと、今日は久しぶりに夏が戻ってきた感じでものすごく暑さを感じました。倉庫を出て帰る時、車の中と外気があまり変らなかったくらいですから。普通だと車内は猛烈に熱くなっていても外気の方が涼しいのですが、それが変わりないのですから結構暑かったのだとおもいます。
 それにしても、会社を出たのは5時過ぎだから、日中はもっと暑かったのでしょう。オフィスは倉庫の中央部にあって外気の変化が分からないのです。まぁ、これで夏も終わりでしょうね、きっと。家の中が暑いのはたまらないので個人的には涼しくなって欲しいのですが。

# もちろんクーラーなどという代物はありません。札幌にいた頃クーラーなどは全く必要としませんでしたが、屋根の真下のレンガ造りのフラットに住む今となっては欲しいですね。もっとも東京の夏に比べたら、暑さに嫌みさが全くといっていいほど無い。「気持ちいいほど暑いのです。」

 結構最近人の日記のページを見るようになってますね、気になります。結構面白いこと(というか、読んでいて面白いと感じさせるものかな)を書くのってのは難しいというかやっぱりその文才ってやつなのかな。俺なんかのだと淡々と日記だし(^^)。

 とにかく出来るだけ続けて行きましょう。

 明日は、一応ソフトウェアも揃ったことだしマスコット(日本人の引越しスタッフがいるオフィス)にあるコンピューターにインストールしに行こうかと思ってます、まぁ土曜日なんで気が向いたらですけどもね。ネイティブWindows3.1にパーティーション・マジック(これってばなかなか良いソフトみたい。使い勝手良さそうだし。一家に一本お勧め。)を入れて、Win95を突っ込むと。果たしてうまく行くでしょうか?まぁ、Win95のインストールに関しては数限りなく(失敗も、もちろん含めてね)こなしているので無難にこなせるのですが、マシン自体似合わせたローカライズがなかなかねぇ。

 昨年だったかな、そのマスコットオフィスにいるマコトさんが、引越ししたお客さんからもらったというi486dx2のマシンを日本語のWin95にアップグレードしたいとか言うことで自分のディスク(CD-ROM)を持って行ったんだけども、これまた自分のディスクがバックアップ用だったために素直にインストールが進まずに、なんだか奥の手!みたいのを使って、すっかりHDDを飛ばしてしまったという何とも苦い思い出がありました。これは、もちろんインストールしようとしていたCD-ROMが変(?)だったという事もあるんですが、サウンドブラスター用のCD-ROMドライブだったという事で中身が良く分からずに変な手段にはしってしまったという経緯があります。

 結局ちゃんとしたアップグレードディスクで、何とかしっかりと日本語環境を整えることが出来て夕食を頂いたお返しだけは何とか果たしてきたんですが。

 お昼からはJRグループの方の家にお昼をお呼ばれしているので新婚さんの冷やかしにでも行ってきます。というか、独身は俺だけなので冷やかされか?

1998年3月12日木曜日

【昔の日記再投稿】(Australia) PC環境紹介します

 やっぱり日記書き始めると仕事の愚痴ばかりになってしまいますね。今日はちょこっとだけ触れて、後は趣味の方にでも・・・。

 今日は久しぶりに、オフィスワークでした。まぁ基本的に人が足りないからで、忙しいことに変りありませんけど。ひたすらデータのエントリーと書類整理(?説明すると長いのでとりあえず割愛します)に終始していました。で、そうそう4月の10日前後に予定している香港旅行の話の方も一応Faxで予約入れておきましたが、イースター&スクールホリデーと重なっているとかで今のところ取れるかどうかは不明です・・・。あと一ヶ月とかですから、何とか取れないかなぁ?

 で帰ってきてから、昨日作り溜めしておいた野菜煮込みとワインでちょちょっと夕食を食べてちとほろ酔い加減な状態な今の状況です(^^)。

 さてさて、今日は一応私のPC環境を紹介しましょう。これってば一応お約束みたいなもんですから、興味無いって人も多いと思いますけど。私は前にも書いた通り会社の研修の関係で、単身オーストラリア・シドニーに来ています。期間は一年間で、7月一杯までの予定です(延びたりしてね・・・)。そんなわけで、「日本から日本語の動くパソコンを持ってこなくちゃっ!」と昨年の夏のボーナスで買ってしまったのが今使っている日立の"プリオス210T"というノート(厳密にはサブノートのカテゴリーだと思う・・・)パソコンな訳です。P5-120MHz/Memory24Mと今のノートのスペックからはやや遅れてますけど、まぁゲームするわけじゃありませんしオフィススイーツが走ればいいので身の丈にあった性能でしょう。

 # そもそもノートタイプコンピューターは限定的な使い方が必要とはじめから割り切っているのでこの程度でも案外私には長持ちしそうです。まぁ欲を言えばメモリーを32~48M程度積みたいところですけど。

 それに会社のごみ箱から拾ってきた新品同様(しかも箱付き!)の日立の20'モニターをくっつけて使用しているわけです。う~ん、またしても日立で縁があるのでしょうか?このディスプレイだけはかなり物が良さそうなので日本に持って帰ろうかと。でも20'のディスプレイって滅茶苦茶重いです。30kg!もあって会社から自宅のアパートまで持ってくるのが超大変でした。17'の重さの倍ぐらいはあるんではないか?と思ったほど。どっちにしてもノートに20'ですからVGAには戻れません。当分繋ぎっぱなしの状態が続くでしょうから、ノートパソコンを外に持ち歩くことも無いでしょう。(これにしかも、モデムカードやらマウスやら、キーボードが外付けされていてノートからにょきにょきとコードが生えている状態)

 それまでは、エプソンの98互換機(PC-486SE)、DOS/Vのショップブランドマシン(P5-100MHz/Memory32M)にいろいろ手を加えたものと、DOSマシンを渡り歩き、コンピューターを所有して5,6年です。これら2台のマシンは一応ともに現役でWindows95がインストールされており、今は実家の納戸にしまわれて主の帰りを待っています。

 まぁとにかくDOSマシンで書いてます、マックが使えないので。なんか書いてて酔っ払っているせいなのか空しくなるので今日はこの辺で、おやすみなさい。

 P.S. そう言えばこっちの会社のDOS/Vマシンへの日本語版Windows95のインストールが楽しみです。なんかてこずりそうだけど楽しませてくれそうです。

1998年3月11日水曜日

【昔の日記再投稿】 (Australia) 部署がちがうと

 仕事の方はと云えば特に変った事はなかった。というか、結局今日モテルもでチェックしていたんだけど、それもそうなるだろうと思っていたので折り込み済みかな。で、バックオーダーを抱えていたので30分ほど残業して帰途についた。と言っても、研修なのでいくら残業してもExtraはつかないんだよね。ヤマハでやっていたら、やっぱやる気が出て残業だろうがなんだろうがしてやるって気も起こるけど、テルモでなんだかひたすらチェックしているだけだと、たったの30分でも早く帰りたくなるんだよね。あ~あ、早くヤマハのセクションに戻りたい。

 で、帰りに会社の帰り道にある小さなショッピングセンターで野菜とかを買って帰って今日はラタトューユを久しぶりに作った。大量につくって、作りおき作戦。明日の弁当にもしちゃうし。

 あー、香港行きの話何とかしないと・・・。

1998年3月10日火曜日

【昔の日記再投稿】(Australia) 後任者

 今日から、再びウェザリルパークオフィスに戻る。と言っても、一日だけマスコットに行っていただけなんだけど。

 会社に行ったら、テルモの人数が足りないらしくライがまたニヤニヤしながら俺にチェックしてやってくれないか(いつも俺は、テルモでディスパッチ前のチェックをしていたから)?って。きょうは、「毎日仕事変って~」みたいな感じでちょっと文句垂れてやりました。まぁ、足りないものはしょうがない。逆に言ったらそれだけ頼りにされているのかも?と思ったりするのは己惚れ過ぎか?

 まぁ仕事自体は淡々とこなしていたんだけど、今日は4月に計画中の(なんだか危ないんだけど)香港旅行兼見学の手配でガーボのところに行ったら社長がいたので先週飲みに連れて行ってくれたお礼を言いに行ったんですよね、そしたら後任のビザの方はどうなってる?って聞かれちゃって。あちゃ~、「まだです。」 その事で少しガーボにいろいろ相談したりしてました。もう後任の人選に入っているだろうから急がねば。香港の方はというと、某格安航空券を扱う大手旅行代理店に問い合わせたところずいぶんとブレークウェーよりも高い、少なくとも2倍以上もする。これじゃあって事でブレークウェーの手続きを開始しました。果たして今からとれるんだろうかと心配になります。

 あと、カントリーリンク(N.S.W.の鉄道ですね)のクリスから電話があって、貨物駅の見学をアレンジしてもらえることになりそうです。これはかなり嬉しい収穫ですね。マイケルに話して平日にアレンジしてもらおう。

 帰りに伸びに伸びた髪の毛を切りにキングスクロスまで行ってきました。いつものところなので安心して任せておきました。いつもみたいに短くお願いしますって。最初はちょっと長いのでもう少し短くと思っていたんだけど、最後にいろいろ切り揃えてもらっていたらちょうど良くなっていました。いわなくて良かった、上だけ短くてアンバランスになるところだった。

1998年3月9日月曜日

【昔の日記再投稿】(Australia) OfficeのPCとレポート

 今日は朝からマスコットのオフィスの方に出かけて行った。マイケルが今後の研修のことで話すことがあるとかで先週呼ばれた為。会社に車を入れようとガーデナーズロードを横切ったら、いきなり一台のピックアップバンがバックしてきて慌ててクラクションを思いっきり鳴らした。ぶつかる直前まで止まらなかったが激突は回避。ところで運転手を見たらチャイニーズで「荷物なんかぜんぜん積んでいないくせに後ろ見てねーのかてめーはっ!」と吐き捨ててやりたかったけど、月曜の朝から切れたら駄目だ!と言い聞かせる。

  本当は前々から、言われていたWindows95のインストールも一緒にと思っていたんだけど、Jが勝手に家にソフトを持ち帰ってしまっていたために必要なソフトがなく断念したのだった。そのくせ苦し紛れに、「i486にインストールしたら重くなるから駄目だ」とか言っていたけど、どうせ液晶が壊れたノートにぼろいディスプレイが付いているだけなんだから、元々そんな事は問題じゃないのだ。別に最新ゲームをしようとか、ベンチマークとろうとか言うんじゃない。ただ単に、ワードやエクセル上で考えながらプチプチ打ち込むだけだ。それに、基本的にCPU遅いというのはそれほどの問題じゃない。オフィスのパソコンなんか一回立ち上げたら立ち上げっぱなしって言うのが常だから、読み込みとかが遅いことなぞ問題じゃないんだよね、それほど。まぁ、メモリがないといちいちスワップしていやだけど。しかしそれも、今日見たところでは486SL(これってば、dx2互換か何かか?)で20Mメモリーなんだからいちおう中の下くらいでしょう、一般の95ユーザーの使用しているコンピューターの資源からしたら。大体、遅いとか言うんならペンティアムマシンには32Mぐらいのメモリーは積めっての。いまどき16Mじゃー、それと比べて早いも遅いもないでしょ。

 それにしてもEnglish版の95が動いているP5-120MHz、メモリー16M(!)のコンパックデスクプロに、パーティションマジックでハードを分割して日本語版を入れたらただワードを動かすだけでずいぶんと処理が重くなったのはやはり日本語処理に手間取っているのだろうかねぇ。 # 実際コンピューターに疎いスタッフでもそれに気づく  でも結局遅くったって動くマシンをほおっておく方が無駄なのでマイケルの指示でやっぱりインストール続行決定。それにしたって、NECのVersaとかいう互換機ノートに95を突っ込んだとして果たしてドライバはなんとかなるのでしょうか。コンパックだからワールドモデルでなんとかなるだろうと高を括ったデスクプロの時も、ディスプレイドライバでてこずってしまった経験からして、インストール多難が予想される。おまけにCD-ROMドライブなんてついてないし。まぁ、コンパックも付いてなかったから同じだけどね、この問題は。

  さてそれ以外といえば、さくっと就業時間中にレポート(英語!)のイントロを書いて、ぱらぱら旅行のパンフを見て、じっくりと久しぶりに日本の本社から来た書類を見ていたら月曜日は終わっちゃった・・・・・。まーた、明日からウェザリルパークだぁ。でも、最近マスコットに来ても余り居心地が良くない。日本人がいるのはいいんだけど、どうもなじまないな。なんか仕事がないから、居場所ないしね。やっぱ英語の環境だけど、仕事を任せてくれる(Thanks, David !)ウェザリルの方がいいやって思う。なんだか、ずーっと英語の環境の中にいると日本語がいつも聞える環境(会社だからかもしれないけど)ってたまに嫌になることがある。  あーっ、これじゃー日本に帰ってちゃんと現実に復帰できないよぉー!?帰りの車の中で(今日は日経新聞などを調達してきたのでゆっくりと帰ってきたのでしたが)、「ぁ、今日はレントのピックアップだった!」と気づいて急いで帰ったくらいで後は何事もなかった一日でした。