1998年4月30日木曜日

【昔の日記再投稿】(Australia) 中華料理で

 今日で4月も終わりである。仕事はまぁ忙しいというかとにかくやることが沢山あるので、時間だけが過ぎていくというのが正直なところだ。

 こう書くとなんかありそうなのだが、ここのところお腹が下り気味である。しかも香港から帰ってからである。

 今日も実は朝から猛烈な腹痛に襲われて、1時間半遅れて出社した。急激な痛みはないのだが、慢性的にどうもおかしい。

 仕事の方はというと、午後にローリック(AirFreighの代理店)に荷物を取りに行っただけで後は、ひたすらドキュメンテーションであった。5時前に、K氏からエアーズロックからシドニー空港に着いたと連絡があり、国内線のカンタスターミナルまで迎えに行った。

 実はK氏と合うのは2年ぶりで、大学を出てちょうど1年目に新宿で飲んで以来だった。Gウィークということで来豪していてこれまで、私も12月と2月に行っていたエアーズロックのアウトバックパイオニアホテルに、泊まっていたのだった。

 天気と腹の具合がおかしかったのでチャイナタウンにお粥を食べに行くことになった。香港以来忘れられない味なのだが、こちらの粥はあまり美味くはなかった、残念。ビールを部屋で傾けつつリビングで寝てしまい、寝言を言ったようだった。

不覚。

1998年4月29日水曜日

【昔の日記再投稿】(Australia) VCD

 香港で買ってきた星の金貨のVCDを見始めた。全12枚組みで、HK$200だからお買い得だ。(怪しいものだから当然か。)

 大体どれも45分ほどの構成で、VHSのテープを見ているような感じである(これも当然か)。しかし、残念なことに今使っているノートパソコンのビデオチップがチープな為か、コマ落ちが非常に激しく、フレームがカクカクしているのである。C&T 65550-1MBだからやむをえないところか。

 しかし内容は、なかなかはまりそうなので今週末あたり・・・・、かなりヤバそうである。

1998年4月28日火曜日

【昔の日記再投稿】(Australia) 日本からの客人2

 S氏がアデレードにむかっていった。しかし続いて、K氏がエアーズロックからやってくる。先週今週と非常に忙しい。

 仕事、というか研修の方もオフィスワークに慣れてきたせいか、少しずつ体系だって仕事を教えられるようになって来た。そのため、会社を出るのはだいたい7時前後と結構おそい。もちろん日本に比べたら早い方だが。

 今日は午前中に、営業のSさんと一緒に外回りにでた。営業の難しさを肌で感じた。交渉では全ての言葉に駆け引きがある、ということも感じた。どうも俺には出来そうに無い仕事であることも、分かってきた。

 しかしながら、引越しの仕事を終えた時の充足感みたいなものは最近感じつつあって、いろいろな面で勉強にもなっている。
帰ってきたが、非常に疲れが溜まっていてなんだか、眠気もある。やはりここのところ休み無く動き回っていたせいかもしれない。今日は早く寝るかな・・・。

1998年4月27日月曜日

【昔の日記再投稿】(Australia) SCSIコネクタ

 シドニーに来る時に、CD-ROMドライブを持ってきていたのだがその時はPCカードのSCSIホストアダプターを持っていなかったこともあって、お蔵に入っていたSCSIのCD-ROMドライブが、香港で入手したSCSI+MODEMのコンボカードを手に入れたことで、利用可能となった。

 実はコネクタが、D-SUBハーフ50ピンと、ハーフピッチ50ピンで異なっていたのだが、ちょうど来ていたS氏に頼んで購入して来てもらった。これで晴れてCD-ROMが読める環境が整った。

 なにせ、今どき全てのソフトウェアの配布はCDであり、それが読めないのはサブノート以下のノートパソコンぐらいなものだろう。普通サイズの"持ち運べない"タイプのノートでも、CD-ROMドライブは備えているものだ。

 今まではWINDOWS95をクラッシュさせられない(復旧できないから)と、おどおどしていたのだがこれで心配が要らなくなった。(本質的には、DOSでCD-ROMが未だに使えないため完全ではないが。)

 しかし、今や時代はPentium2で、400MHzに突入しているのだ。やはり日本に帰ったら、マシン自体のアップグレードを考えなくてはなるまい。

1998年4月26日日曜日

【昔の日記再投稿】 (Australia) 南へ

 今日も朝から・・・、と行きたかったのだが、やっぱり朝寝坊。実は早くに一回目覚めたのだが、休みだという誘惑にかなわずに、2度寝へと・・・落ちていく。結局起きたのは、10時半。その段階でキャンベラ1日ツアーはもう駄目だということで、ウロンゴンに変更する。元々行きたいと思っていたのだが、なかなか腰が上がらなかったのだ。ウロンゴンは、シドニーから約80km南に位置する街で、それほど大きくはない。

 車で約1時間半ほどの、ショートトリップで眼下にウロンゴンの街並みを見下ろしながら、山を下りると青い海が見え、ヨーロッパ的な街並みが視界に広がる。街は日曜日なのだが、静かで歩く人もほとんどいない。まずは、中心部から程近い…

1998年4月25日土曜日

【昔の日記再投稿】(Australia) ブルーマウンテンへ

 昨晩ネット談義に花が咲いてしまい、寝た時間が遅かったこともあって10時過ぎに起床。

 キャンベラに行くには遅すぎるため、今日はブルーマウンテンの向こう側のジェノランケーブに行くことにする。カトゥーンバから山を下り切ってリスゴーに入ったところで、左折して山道に入る。その山道の後半はかなりワインディングロードで結構狭い。車で2時間半かかって午後2時前に現地に到着する。

 以前T氏と来た時はルーカス洞窟に入ったのだが、今日はちょうどいい時間だったのがリバーケーブ。

 一番長くて、フィットネス度はナンバー1だったが、値段もナンバー1。2時間コースである。以前のルーカス洞窟と途中までは同じだが、途中から深くに入っていく。名前どうりにいくつものプールがあり、非常に奇麗な水を湛えている。サファイアのような薄い水色の水が静寂の中にたたずんでいる。

 これほど奇麗な水はなかなか無い。(コインが投げ込まれていたが)途中には、カラムと呼ばれるかなり立派な石筍があり丸で、ソフトクリームが溶けかけたような感じだ。

 帰りは5時を過ぎて出発となりかなり周囲は暗くなっている。そして、いつも行くライカートのイタ飯屋さんに行きパスタで夕食を取り帰宅。

1998年4月24日金曜日

【昔の日記再投稿】(Australia) 焼肉

 東京からS氏が来るという事で朝早くから空港に出迎えに出かけた。7時過ぎに到着のカンタス便である。7時半頃に出口のところで出迎えようと、待ち構えていたのだが一向に出てこない。

 到着から、1時間を経過しても出てこないので検疫か入管で引っ掛かっているのか?と思ったが、もしかしたら別の出口から出ているのかも・・・と思い、探したところベンチに座っているS氏を発見。どうやら7時半ごろゲートを出たという事ですれ違いだったらしい。なんでも、チェックインラゲッジにしなかったらしく(つまりは全て機内持ち込み)、ターンテーブルで荷物を待つ必要が無かったため到着後すぐに、イミグレそして税関を通って出てきたらしいのだ。

 今後は、出迎え時間に注意しなくては。

 軽くモーニングティーをして、シティー中心部まで送っていった後、会社に戻る。出来ればアテンドしてやりたいのだが、ちょうど忙しい時期だったため、非常に休みづらかった。

 なんとか7時前に帰ると、S氏はすでにソファーで寝ている。かなり疲れている模様だが、起こして焼き肉屋に連れて行き夕食。その日は私もかなり腹が減っていたので結構な量を食べたがそれでもA$20.00以下であるところが嬉しい。

1998年4月23日木曜日

【昔の日記再投稿】(Australia) 通関

 昨夜、日本から明日の朝のカンタス便で来るSに連絡を取るのをすっかり忘れた。というか、Nと長電話していて時間が無かったのだ。明日7時到着便なのだが、まぁ空港で会えるので問題ないことを祈ろう。

 今日は滅茶苦茶疲れた。というのも午前中に怒涛のごとく頼まれた書類を作ってその後、エアカーゴのピックアップのために空港に出向いてアンセットの倉庫と税関を往復。そのうちの一つのクライアントの貨物が検疫にかけられる結果となり、昼食後に今度は会社近くの検疫所(クアランティンという)に出向いて、手続き。しかし全く初めてだったのでいろいろてこずった。

 いよいよインスペクションまで及んでしまい、今度はお客の荷物があるボンド倉庫まで荷物をリリースしに行く。その荷物を持って再び戻り、今度は検査を受ける。食品が入っているとオーストラリアの税関やクアランティンは非常に厳しい。

 実は昨日もカスタムにインスペクションされているのだ。その立ち会いで、やっぱりボンド倉庫まで来た。

 で、非常に細かい検査後だった。クライアントの荷物も荷物で使いかけの調味料が山ほど出てきて、怪しい出汁や中華料理用のソースから山葵から、はたまた大量のカレールーまで出てくる始末。それを立ち会っている俺が、検査官にいちいちこれはどういう物で、どのような内容物、材料を使っているか説明しなければならないのだ。

 一番駄目というか、はじかれてしまうのが、乳製品や、卵製品。例えば、マヨネーズ、チーズ。その他、肉製品及び種子などに類するものなどが持ち込んではならないものなのだ。オーストラリアは他の国と違って非常に特殊な生態系を持った国だとかなんだとかが、理由らしいが何もそこまでしなくても、と思う。

 とにかく、今日は非常に疲れが溜まった1日だった。

1998年4月22日水曜日

【昔の日記再投稿】(Australia) 日本の雑誌

 珍しく大雨が降っている。オーストラリアにはシトシト雨というのが無くて、晴れているか雨が降っているかどちらかという分かり易い天気が多い。もちろん晴れている時の方が多い。

 お客さんの引越し輸入貨物が通関に引っかかってしまい、午後から外に出ていた。ここのところデスクに座っていることが多かったので、気分転換になった。マスコットのオフィスワークも慣れてくると、楽ではあるが単調である。

 また、依然泥棒に入られたコンテナ貨物の中の衣類をクリーニングに出してきた。〆て42着。A$185.00である。ほとんど一人の人のものだけにそのまま全損扱いに出来なかったというわけだ。スーツがほとんどで高価だからである。

 会社が退けてから、紀伊国屋に雑誌を買いに行った。ノースシドニーといってシティーの対岸になるのだが、こちらの街で買い物をすると住んでいる人が非情にソフィスティケイトされているのが分かる。ドラモイン周辺は本当にシドニーに住んでいる人(上手く説明するのが難しいが)つまり、居住が長い人が多い感じだが、ノースシドニーは、当然シティー中心部に近いということもあってか、ヤングエグゼクティブ的な(すでに死語)人が多い。年齢層も、一段若い感じだ。

 そこで今月号のアスキーを買って帰宅。

1998年4月21日火曜日

【昔の日記再投稿】(Australia) 寝過ごす

 朝起きたら8時だった。完全な遅刻だ。こういう時は目がすっきり覚める、気分は最悪だが。

 いつものことだが、ボーッとした頭のまま車を走らせ会社に急ぐ。8時半始業だが、オーストラリアのせいかそれほど煩くない。こんな事をしていたら本当に日本に帰って、まともに会社に復帰できなくなってしまう。自分を戒めても、一度味をしめたら人間はとことん楽な方に流れていってしまうから性質が悪い。

 大体、ちゃんと寝ないと駄目な体質なくせに毎日1時まで起きているから悪いのだ。毎朝「今日は12時前に就寝しよう!」と固く心に誓うのだが、夜になると目が冴える体質(そう、全て体質が悪いのだ)なので、結局朝の誓いはもろくも崩れ去る。この繰り返しである。

 昨日今日と日本の本社総務に電話をかける機会があり久しぶりに研修担当と話す機会があった。電話で話すからか、どうも俺の声が明るすぎてしまい、事務的な相手の対応が気になってしまった。確かにお役所的体質なのでその様な対応になることは肯けるのだが、この一年の間にそんな事はとうに忘れてしまっていた。また8月からその様な所に帰ると思うと、やや気が重い今日このごろである。

1998年4月20日月曜日

【昔の日記再投稿】(Australia) チャーハン

 香港でNからもらったチャーハンの素でチャーハンにトライした。どうせふりかけみたいになっているだろうと思って(実際そうだったのだが)、玉葱と人参のみじん切りを加えた。これがなかなか美味い!

 まぁ素を使ったから、完全な料理とは言い難いが、私はチャーハンには一家言持っているのだ。ベタッとしたご飯で作ったら美味しくないし、油が多すぎても少なすぎても美味しくない。少ないと焼飯になってしまう。

 そんなうるさい(?)俺が自分で作って満足しているというのだから、当分チャーハンを作る日々が続きそう・・・。

1998年4月19日日曜日

【昔の日記再投稿】 (Australia) 日本とAustでNetMeeting

 今日は、何と朝の4時に寝た。

 もともと土曜日は朝に帰ってきて疲れていたので昼寝していたこともあって眠くはなかったのだが、用も無いのに4時まで起きていることはない、チャットにはまっていたのだ。相手は日本にいる私の大学時代からの友人。今度オーストラリアに来るからその打ち合わせと称して、Net Meetingをしたのだが内容は関係ないことの方が多かったりする。

 ノートパソコンなので、品質はさて置きサウンド関係は一通り揃っているので、インターネットフォンまがいのことは出来るのだ。(もちろんサウンドが無くてもチャットボードや、ホワイトボードは出来る。)

 "出来る"と聞いて分かっていてもいざ実際に試すとすごいなぁと思う。もちろん電話にはまだまだ遠く及ばないレベルだが、お互いにダイアルアップ環境で末端が28.8Kbpsでも、良ければAMラジオ程度の音質が期待できるのだ。圧縮してもそれなりに、人の会話程度ならここまで来れるわけだし、これにもちろん途切れ途切れなのだろうけど、テレビ電話みたいに画像を送ることも出来るのだ。

 しかし、時間をコスト換算すると効率が悪いことこの上ない。まだ電話の方が安く上がるだろう。

1998年4月18日土曜日

【昔の日記再投稿】(Australia) Web香港日記執筆!?

 1日香港旅行記にかかりきりだった。<その割には中身ないね?とか突っ込まないで下さい。

 「こういう事は忘れないうちにやっておこう」といつも思うのだが、大体伸ばし伸ばしになってしまう。特に研修レポートを書いているので、その時々でネタになることを残しておくべきなのだが実際疲れたとか時間が無いとか自分に甘いので、結局後であの時はどうだったかな?とか細い記憶の糸を手繰りながら、必死で思い出そうとあがくのである。あがいたところで、忘れてしまったことは容易に出てくるわけも無い。その時は「これは忘れては駄目だ」とか思っていても、実際に忘れる。

 だから、こうして日記上にこの日はこれこれをしたという事を後で自分も参照できるように残したいと思って始めたのだ。

 読んでもつまらないというのは、自分の記録だからかもしれない。こうして残しておけばあとで、その情報を再利用し得るかもしれない。そういう意味で紙媒体の日記ではなくて、電子メディアとして日記を残す利点があるのだ。

 それではなんで、わざわざhtml形式でWEB上に公開するのかというのは、これは本人へのMotivation対策である。別にこのアドレスをおおっぴらに公開しているわけではないので誰も見てやしないのだが、私のようにいつも楽をすることばかり考えている怠け者には、少なからず「更新しなければ・・」という一種脅迫めいた強制力が必要なのだ。

1998年4月17日金曜日

【昔の日記再投稿】(Australia) 寄るご飯

 夜に、日本人スタッフのSさんの家で夕食をご馳走になる、その後酒を飲んでいつのまにやら寝てしまい、朝までぐっすり。新しく入れたソファーが妙に気持ち良くって。

 昼間も結構細細としたことに、時間を割かれてしまっていつのまにか時間が・・・といういつものパターン。

 ハービーノーマンにSCSI変換コネクターをファックスで問い合わせたけど、その日は返事なし。ああー、いつになったらCD-ROMドライブが使える日が来るんだろう・・・。結構不便しているんだよねぇ。

1998年4月16日木曜日

【昔の日記再投稿】 (Australia) いらなくなったソフトウェア

 昨日、今日とかなり激しい雨が降ったせいだろうか、心なしか空気が澄んでいる気がする。

 忙しい一日で、気がついたらとうに7時を過ぎていた。木曜日のショッピングデーだったので会社帰りにSCSIの変換コネクターを見に行ったのだが、なにせその辺のところはチープなオーストラリアのこと、当然あるはずも無い。

 おかげでコンボカードのSCSIの機能が未だに使えない。

 香港でNから渡された、2月のエアーズロックの後半を見た。結構俺がいないところで話していることが過激で、顔から火が出るくらい恥ずかしい!

 # 俺がいないから、話しているのはだいたい俺の事なんだよなぁ

  香港の写真も出来上がってきた。結構良く撮れている。スキャナがあればすぐさま取り込めるんだけども。

 今週は短かったけど、明日で終了。今週末は、レポートも仕上げないといけないし(2ヶ月おきに提出、と自分にノルマを課しているのだ)、香港の事もまとめて出したいしで、おとなしく家にいてやることやろう。それにここのところ、毎日6時間程度しか寝てないので長時間睡眠をとらないと機嫌の悪い俺としては、爆睡しようと思っているところ。

 そうそう、昨日スタッフから、「お客さんが要らなくなったから」という事で、ソフトをいくつか譲り受けた。

 これが、値段にしたら結構な代物できっとあまりその辺のところに詳しくない人なのではないかと思う。ちょっと知っていたら、普通手放さないもんなぁ。日本に帰ったら、実家で主を待っているデスクトップ機に入れてみようと思う。

1998年4月15日水曜日

【昔の日記再投稿】(Australia) CDとコンテナ事故

 香港で最終日に杏里のCD、Twin Soulを買った。日本のCDを買うのはまさに10ヶ月とかそれくらいぶりだ。

 聴いてみるとすごく新鮮だったことに驚いた。やっぱり日本語の表現力というのは豊かな気がする。これはまだまだ英語の修行が足りないせいかな。

 会社で、顧客の荷物を入れたコンテナが荒されるという事故があって、一度日本に送らずに引き取ってきた物を半日かけて分けていた。

 スタッフ曰く、「これだからオーストラリアは信用無くなっちゃうんだよ」。

 まぁ、保証はされるんだろうけれどもお客さんの荷物には写真とか、手紙、そして思い出の品々が入っている。いわゆる"お金に替えられない"ものが多い。午後に分けていて、分からない物はどうしようもないので不明物として弁償するようにしていたのだが、気持ちは重い。

 コンテナは他社の管理な筈なので会社に責任はないのだが、何とも辛い一日だった。

1998年4月14日火曜日

【昔の日記再投稿】(Australia) 飛行機

 今朝キャセイパシフィックの101便で香港から帰ってきた、という事でこの日記は1週間ぶりに更新となります。

 帰りの飛行機では疲れて、大体エコノミーの狭い機内では寝れないことが多いのだが、ほとんど寝つづけた。

 行きの飛行機はエアバス300とかでかなり新しい機体だったので、エコノミークラスでも液晶テレビが各自の席の前に備え付けられていて楽しめたのだが、帰りは747で古いやつであった。

 最も寝ただけだったのだけれども。

 帰りにシドニー空港からタクシーに乗って帰ってきたら、なんだかほっとしたのはやっぱり住み慣れつつある街だからだろうねぇ。ちょっと意外な気分と同時に誇らしかったりして。

 当然香港の間の話は、別に載せる予定ですので、この間の日記はそちらを参照して?

 で、帰ってきてまだ眠かったのだが、洗濯をして、床屋に行って買い物に行ってといろいろしていたらすっかり夕方で、メールのレスも付けなきゃいけないとかいろいろ1週間家を空けるとやることが溜まってました。

 Nにもらった2月にエアーズロックに行った時のビデオをちょっとだけ見たんだけれども、自分を客観的に見ることほど苦痛なことはない。なんだか落ち着かない奴だとか、良くしゃべるなぁとか、画面に映る自分に不満タラタラである。

 昨日香港のHMVで購入した杏里のNew Albumはなかなか良いバラードが入ってますね。こっちのHMVじゃ日本の物が買えないだけに、何とも香港にいるT氏が羨ましい限りだ。

 明日会社で、お土産を配るとしよう。

1998年4月13日月曜日

【昔の日記再投稿】(HongKong)香港歩き回り6

 香港最終日。

 今日はTとは夕食時に合うことにしている。Nは午後3時の便で東京へ。俺は夜11時の便でシドニーへと戻る。昨夜はホテルに戻ってきたのが2時過ぎで結局寝たのが3時過ぎだったこともあって、ゆっくりと朝は10時ごろに起きた。そして、Nお気に入りの朝粥に再び出かける。

 その後買い物をしてホテルに戻り、チェックアウト。もう12時だ。そして、空港へNを見送りに行った。

 旺角、深水渉と電脳街を見て回り夕食は銅鑼湾のとんかつや。久しぶりも久しぶりとんかつなんて食べるのはきっと10ヶ月ぶりだろう。感動しているうちに満腹になってしまい、Tと別れ一人空港へ。

 帰りの飛行機は、747で大きかったとかそういう事は全く覚えていなくて疲れて離陸の瞬間さえも忘れて寝まくっていたのでした。

1998年4月12日日曜日

【昔の日記再投稿】 (HongKong)香港歩き回り5

 今日は1日香港の田舎巡り。当初の予定ではマカオに行くことにしていたのだが、マカオはパックツアーでもいけるので今回はDeepなチョイスをする。

 まずは地下鉄で、尖沙咀から終点Tsuen Wanへと向かいTと落ち合う。そこから2階建てのローカルバスで一路錦田へ。そこには、昔からの城壁村が残っていて5メートルほどの高さの城壁に囲まれた集落がある。中はかなり怪しい雰囲気で、西洋人は喜びそうだがかなり怪しい。まず門を入ると、ババアに寄付金と称して一人1$取られる。ババアは、カードで賭け事をしている。

 もっと奥に進むと、西洋人住人とおもわれるババアと写真を撮っている。オリエンタルな雰囲気なんだろうやっぱり。ババアどもは変な野良帽子をかぶっていて子汚い格好をしている。やっぱり銭を取っているようで、観光ずれしている。

 更にここからバスに乗って、元朗の街へ。田舎の街だがかなり人はいるよう。軽便鉄道とかいてある割には、新しい路面電車が走っている。ここから離れたところに怪しい漁港があり、そこを見に行った。市場と海鮮料理店が交互に並ぶ路地を抜けるとはるか対岸に中国本土が遠望できる。

 元朗でマクドナルドに入り(香港でマクドナルド行かなくても・・・と思ったが、いい店が見当たらなかった。でもしっかり香港だけの黒胡椒バーガーを食べてきた。)軽く昼食を摂り、中国との国境沿いにバスに乗る。Tは以前このバスに乗っていて人民解放軍にIDを提示しろといわれたらしい。国境間近の街から鉄道にのって、大学という駅から、怪しいフェリーに乗る。正しくはフェリーではなくて漁船だ。その船は途中の島々に止まりながら、キャンプをする人々を下ろしては乗せていった。着いたところから、バスに乗って、九龍まで帰ってきた。そこから更にバスに乗り継ぎTのマンションに。

 きょうはTの家でそれぞれが腕によりを掛けて飯を作る、世話になったという意味もある。結構時間がかかったがNがいたのでかなり素晴らしい夕食となった。Nが大根サラダ、鮭のマリネ、ジャーマンポテトを作り、俺がトマトソースパスタを作り、Tがにらたまを作った。ビール・ワインとしこたま飲んで、結局タクシーで帰ることに。

1998年4月11日土曜日

【昔の日記再投稿】 (HongKong)香港歩き回り4

 今日はNの買い物に付き合う日である。やつの香港訪問の主目的である。

 まず朝食を食べに出かける。ここで、ホテルで朝食なんかしない。何といっても、朝粥を食べに行きましょう。

 ホテルから歩いて10分ほどのところにある、店に行った。魚の朝粥とミートボールの入った麺を頼む。魚の?って聞くと生臭そうと感じるかもしれないが、それは全くない。非常に出汁が利いており、めちゃくちゃ美味。香港に行ったら朝粥をしよう。

 続いて、買い物に。もう買う物は決めてあるとかで、ハイアットリージェンシーから程近いペニンシュラホテル内にあるカルチェ、ティファニーで貴金属を買ってあっという間に30万円近く・・・、おそるべし。頼まれた物もあるとはいえ、翌月カードの引き落としあるから厳しいでしょ?って聞いてしまう、俺。

 ちょうどお昼に、香港塔を望む尖沙咀にある香港文化中心でのオルガンコンサートに行く。そこでTと合流して飲茶を楽しんだ後怪しい女人街、そして機能も行った旺角に行き香港でのショッピングを満喫する。俺としては、後者の怪しいところで物を買うのが好きかもしれない。

 その後、夕食を食べに香港島に渡る。世界一長いエレベーターを持った通路(エレベーターが世界一長いわけではない)を通って、ローカルが行くような店に入る。こぎれいなので大丈夫そうだ(やはり汚いところはTも危ないから入らないらしい)。俺が辛いのが好きだといっていたので連れてきたようだ。麺類の専門店で、俺はそこで一番辛いと目されている冷麺(冷やし中華みたいなの)をたのむ。出てきた物は、麺の上に2,3品のトッピングがのっており、かかっている汁がまさにラーユである。何とか全部食べ切ることが出来たが、のっている鷹の爪(乾燥したチリ)はさすがに食べることが出来なかった。それにしても汗かかないね?と感心されたが、これも日頃お昼に辛味噌をたっぷり掛けてチリチキン(中華風の生のチリが入った肉野菜炒めをご飯に掛けたもの。俺の最も愛するランチ。)を食べているせいだろう。

 その後、ビクトリアピークという香港島の山の頂上まで、ゆっくりとしたバスで登り夜景を見に行く。頂上は湿った空気のせいかガスがかかっており、だんだん奇麗な夜景が霞んできてしまった。Tと別れた後、喫茶店でコーヒーを飲んだのだが、その値段がペニンシュラのそれよりも高かったのには未だに納得がいかない。やはり山の上ということでその値段も標高に比例していたのだろうか。シナモンで誤魔化したようなカプチーノで、シドニーの美味いそれの比ではない。

 その後、今度はジェットコースターのようなバスでたった登ってきたバスにかかった時間の1/3で下まで降りてきてしまった。頂上は少し小雨模様だったのだが、下は全く晴れている。スターフェリーでホテルまで戻る。2.2HK$と50円もしない。それに船上から見える夜景は奇麗で、写真も何枚か撮ったがやはり夜景を上手く撮るのは難しい。

1998年4月10日金曜日

【昔の日記再投稿】(HongKong)香港歩き回り3

 午前中にゆっくりと起きて、電脳街巡りをする。DX4-75MHzのオーバードライブプロセッサーを見つけて買っておけば良かったと今更ながらに後悔している。

 そのあと、話題の(嘘)室内ジェットコースターに乗ったが、回りが子供ばかりで恥ずかしい。Tが俺をだしにして乗ったとしか思えない。

 午後便で、Nが東京から合流するので急いで空港にバスで向かう。やや遅れて到着したようだったが、何とか到着前に間に合う。ところが、ぜんぜん出てこない。ANAのキャビンアテンダントが出てきてかなり経つのに出てこない。心配して待ち合わせにしておいた、マクドナルドの前に行くと・・・、いた。

 のんびりポテトを頬ばっているではないか。緊張感のないやつ。あまりに背が低すぎて見えなかったに違いない・・・。

 俺とTは昼飯を食べていなかったので飲茶に行くことに。初日にブラブラしたあたりの店に入るが、もう3時近くで飲茶も終盤。下の階から自分で出向いて皿を取ってくるはめに。

 圧巻だったのは、鳥の足。形がそのままで、表面はその名の通り鳥肌。俺は食べれなかったが、二人は食べていた。その後、Nの荷物が大きかったので一度Tと別れてホテルハイアットリージェンシーに向かう。俺は午前中にチェックインを済ませて荷物を置いてきてある。部屋はまぁまぁ広くて内装も奇麗である。ユニットバスもゆったりとしていて高級感もある。これで2人が泊まって3泊で2200HK$と日本円で、3.5万円強とリーズナブルである。香港は特にホテル代が高いので、割安感が強い。あわよくば、ペニンシュラホテルと行きたいところだが、あちらは格が違う。

 ただ唯一の欠点は、ホテルのビルが外装工事中ですっぽりと足場とネットに覆われているため外が全く見えないことである。どっちにしても泊まった部屋の正面はビルであるために外は見えないので、うるさくないし善しとした。

 再びHMVでTと合流し、今日のメインである香港島にあるオープントラム(よく2階建ての路面電車が香港のイメージとして出ますね。あれの屋根が一部無い物で、催し物に使うようです。)でのパーティに参加するのです。これはJALの香港の若手の歓送迎会に飛び入りで参加させてもらったのです。巨大な看板の光が溢れる、これぞ香港と感じさせるような人々が行き交う通りを貸し切りのトラムで走る。酒も飲む。信号で止まると待ち行く人達が見上げ、歓声を上げる。

 ビールを飲みながら、ピザ、チキン、寿司と楽しいを通り過ぎて香港の経験値が思いっきりアップした気がした。

1998年4月9日木曜日

【昔の日記再投稿】(HongKong)香港歩き回り2

 翌2日目。今日は午前中に港湾見学、午後に空港見学である、研修の一環で来ているという名目上やむをえない。

 Tの友人のY氏とNYK香港のI氏の4人でまずは葵涌(Kwai Chung)にあるMTL(現代貨箱碼頭有限公司)を見る。ちょうど1週間前には、シドニーの南にあるボタニー湾のCTALを見学していたので比較するにはちょうどいいタイミングであった。

 ターミナルはやはり香港のせいか、ぎゅっと狭く、オーストラリアのような広大さはない。しかし設備は大変新しく、RTGというクレーンによるオペレーションをしており、マネージするシステムもやはりマックのようである。どうしてマックなのか聞いたところ汎用の港湾オペレーション用のソフトらしい。どうりで、CTAL、PATLCでも見られたわけだ。

 昼前にMTLを出て新空港のロケーションを見に車を走らせた。今の啓徳機塲は7月まででその後は新空港に移転するのだ。啓徳空港は結構古くて、着いた時もタラップから下りて延々バスに乗らされた。搭乗口が少ないのである。それに滑走路も一本しかない上、山に近いとあって着陸の難所でもあるのだ。

 それで、新空港は香港の中心部から離れた大嶼島に移る。もう既に高速道路及びアクセスするための鉄道も敷設されていたが、空港はまだまだ建設途上であるようだ。中には入れないのでロケーションのみを確認して戻る。

 昼は啓徳空港の近くのインド料理を食べる。ナンが結構美味しかった。飲茶を食べたかったのだが、こちらに住んでいる人にしてみたらインド料理の方が珍しいのだろう。

 その後、空港へ。ちょうどJALの貨物専用機(Freighter)が来ているそうでさっそく見学させてもらう。やはり前頭部分を前に跳ね上げてローディングする様は壮観である。内部は結構広くて、かなりの荷物が入る感じだ。

 そのあと、付随するHACTLのオペレーションを見せてもらい、一日の見学ツアーは終了。Tのオフィスも見せてもらい彼の上司にも会った。やはり職場の雰囲気がなんとなくJRに似ているのは、輸送屋さんであるという事と元親方日の丸であるということか。

 そのあと、電脳街巡りをして俺はSCSI+ModemのコンボカードとVCDソフトを買った。ほとんどのVCDソフトは海賊版のコピー製品であるようだが、堂々とお店で売っている。ほとんどが日本のドラマとかバラエティー番組で、ここはどこなんだ?と疑問を感じるほど日本の音楽やテレビ番組が溢れている。

 夕食は、銅鑼湾のスーパーの地下で食事。

1998年4月8日水曜日

【昔の日記再投稿】(HongKong)香港歩き回り1

 行きの香港までの飛行機はキャセイパシフィック航空のCX110便である。これがシドニー発、朝7:45である。庶民の私は国際便だったらやっぱり2時間くらい前には行っていないとまずいよなと常々思っているので、朝は5時に目覚ましをセットして起きる。もちろん2つ目の目覚ましをセットすることも忘れない。しかし、当日の夜中の3時に香港で落ち合う予定のNから電話で起こされる。「一応合う前の最後の電話だしね。」「うん・・・確かにそうだけど。どうせしてくれるんならモーニングコールにしてよ」半端な時間に電話してくれるのがやつのいいところなのです。

 何とか、遠足に行く朝のうきうき感だけが眠気を打ち消して5時に起きる。当然3時から1時間近く電話で話したので眠い。タクシーを呼んで空港に向かうが、まだこの時間だと道路もガラガラであっという間に到着してしまう。

 事前にお土産を買う時間が無くて、空港内の土産屋で数点チョコレートとか全く喜ばれないであろうもの(まぁお決まりのやつですね。)を購入する。レジのお姉ちゃんに値引きになっているでしょ?って教えてもなぜかレジに打ち込めず、四苦八苦している。まだ朝が早いせいか、助けを呼ぶにも他のスタッフも居ない様だ。結局、諦める。しきりに謝る店員。

 そんな事をしていたら、中途半端な時間が残ってしまい、いつものマクドナルドで朝食を取ろうにも、イミグレで時間がかからないかどうか不安だったので、とりあえず中に入ってからにすることに。

 イミグレーションでは、出国カードとパスポートを見比べて「おまえはレジデントじゃない」と言われ、書き直すはめに。ビザのせいである。一応ビジネスビザの種類だからレジデントな様な気がするが、旅行者と同じ一時滞在者なのだ。一緒にして欲しくないけど。一時滞在者として書き込むべき出国カードの項目は「一時滞在者の出国」で「一時的な出国」ではないので帰ってきたら、「もう、一回出国したら駄目だよぉーん」とか言われないかなぁと心配になる。>結局何とも無くオーストラリアに再入国できるんだけどね。

 ちょっとした不安も持ちつつ、ゲート付近に向かうが当ては外れてカフェのような物はまだ閉まっており(あたり前か、まだ

7時前だし)機内食まで朝食はお預けになってしまう。

 機内には新しい機種のせいか、全ての席に液晶モニターが付いていた。それにアメニティグッズが備えてあって結構キャセイはいいかもしれない。お腹が空いていたせいかうまくない機内食を平らげてしまう。

 ジャッキーの"サンダーボルト"と"ホームアローン3"を見た。結構昼間のフライトでは眠くならないので、この手の映画を見てしまうことが多い。香港までの8時間半のフライトは、まぁまぁ快適に終わる。着陸も左側の席だったせいか、恐くなかった。

 イミグレーションは、あっけなく終わるが荷物が全く出てこなくて20~30分待った。その後香港のJALカーゴで研修中で、前半は宿の提供者でもあるT氏と合う。翌日の空港見学のためのパーミットを取得して、町に出て両替をする。そう俺はオーストラリア$しか持っていないのであった。外に出ると、湿気が多く、そして人の雑踏。なんだか日本に帰ってきたような懐かしさを感じる。やっぱりアジアはいい。近くの銀行で何とか英語を駆使して、交換に成功。しかしやっぱり広東語の世界である。うまく通じないが、自信で押し切った格好。

 その後、空港に戻り屋上から間近に着陸する飛行機を見て、そのあとまだ仕事が残っているTが一旦オフィスに戻ったので(もちろん空港内なのですぐである)、俺は再び町に出た。あちこち歩き回って、九龍城の跡地を見たりして時間を潰した後、再びTと落ち合い空港近くのDiamond Hillで現地人(!)が行くような汚い食堂で四川料理を食した。

 かなり辛い。俺はシドニーに来てかなり辛い料理には慣れたのだが、四川料理は全ての料理が馬鹿みたいに辛い。が、うまい。そして、辛い料理は食欲を増進するので止まらない。最初の料理からして中華の偉大さを目の当たりにした。

 バスでTの自宅に向かう。こちらではほとんど全てのバスが、2階建てであり、運転が乱暴でたまに事故を起こすせいか地元民は2階席の先頭には座りたがらないらしいが、こちらは真っ先に座って楽しむ。運賃は大体出しても4,5HK$で100円に満たないことが多い。地下鉄よりも安いのだが、複雑怪奇な路線網のためなかなか最初の人には乗りにくい。しかしこの旅行ではTがいたせいかバスに乗りまくることになる。

 家に戻る前に、ジャスコで買い物をする。全く日本のスーパーであり、日本食、日本のお惣菜も豊富に手に入り、羨ましい限りだ。その夜、VCDを見て寝る。

1998年4月7日火曜日

【昔の日記再投稿】 (Australia) 直らない端末(続編)

 なんとか、月曜日中にインターネット上を検索して、OsitechなるところのPCカードでモデム+LANのコンビネーションカードのドライバ(英語版)を落とすことが出来た。

 とにかくWin95標準で組み込まれるドライバではLANの機能に問題があるようで、全く役に立たない状態。それを確かめるべくダウンロードしたドライバのガイドに従って、古いドライバをリムーブして新しいドライバを入れると・・・ネットワークが見えた!

 しかし、あまりにもローカルディスクドライブの容量が狭すぎる。全部とっても300Mちょっとしかない。これを英語版のWin3.1と日本語版のWin95でパーティションマジックを使ってシェアしているという状況なのだった。3.1の方にはオフィススイーツとか入っているのでこちらの方が領域が広いし、最も全部取ったところで狭いのは変らないのだが。ここで、ネットワークに接続可能になったといいうことが確認できたので、3.1の領域をぶっ潰して全て一度まっさらなハードディスクにしてから、1つの日本語の領域とすることに決める。

 どっちにしても、300M以上のフリースペースを確保できなければエクセルやワードと言った重量級のアプリケーションをインストールできないのでこうする以外に道はない。

 DOSのディスクからFdiskを使ってすべての領域を一旦開放して、ハードディスクをクリーンな状態にする。どうも挙動がいちいち怪しかったので、スキャンディスク及びデフラグを掛けてみると不良セクタがいくつか見つかる。領域開放の後Fdiskで領域確保し、Win95のインストールに入る。今まで知らなかったのだが、Win95レスキューディスクは結構使える。これからそのまま、Win95をハードディスクにセットアップできるからだ。もちろんCD-ROMドライブを読める様に、セットアップする必要があるが。

 あとは、長いWin95のインストールの後、前述したようにLANのドライバーを更新しネットワークに接続できるようにする。この段階ではWin95に付属のMicrosoft性のネットウェアクライアントなので、限定的にネットワークにログオンすることしか出来ないので、ネットワーク上からネットウェア製の純正の32bitクライアントをインストールする。これで何とか、通常どうりつかえる日本語OSがセットアップされたわけだ。あとは以前、ネットワーク上においておいたオフィススイーツをインストールして終了。

 とにかく時間がかかる、明日は香港に行くため朝5時起きをしなければならないというのに、会社を出た時すでに9時を過ぎていた。まだ用意も完全に終わってないのに。

 日本のハードウェアならば、ドライバーに関することはまず問題はないといって良いのだが、(インターネット上に公開されていればだが)現地のマシンにインストールする場合は、常にハードウェアドライバーがあるかどうかがキーになる。

 そのうちどこかにまとめよう。

1998年4月6日月曜日

【昔の日記再投稿】(Australia) 直らない端末

 忙しかったウェザリルパークから比べるとマスコットでの日々はきわめて楽である。

 今日は、昼飯がてら銀行によって香港旅行の(本当は視察だが)軍資金を下ろしてきた。なんかカードで買うのも、ちと恐いかなと思うので今回は現金中心で買い物かも。

 それにしても、全く用意が進まない。今も、こんな日記なんか書いているし。

 あああー、それに会社で使っているPCカードのドライバー探さないとぉー、ちょっと重症なのでドライバが見つかっても苦労する可能性が大きいんだけど。

 だってWindows95が標準で組み込むドライバーに問題があるみたいなんだよねぇ。

 だれか、OSITECHというところのトランプカードっていう怪しいモデム&LANのコンボカードって知ってますか?

 これがまともに行けば、少しはコンピューターがオフィスに少ない問題も解決の方向にあるんだけどなぁ。

1998年4月5日日曜日

【昔の日記再投稿】(Australia) レポート書いていると、進まない準備

 夕飯に、久しぶりにノースのラーメン屋に食べに出かけた。途中でちょっと込んできて、横に2人組みのワーキングホリデーらしき女の子が来て、席を詰めて欲しかったのか、日本食屋でどう見ても日本人の俺を見て「エクスキューズミー?」だと。

 日本の雑誌読んでいるんだからそれはないだろうって感じで・・・。こういう奴は一番付き合いたくないね、全く。大体ワーキングホリデーの女どもはたいてい頭が悪そうな奴ばかりで本当に嫌になることが多い(もちろんすべてじゃないだろうけど)。結局一年過ごしても金の無駄だよって感じの奴多いしねぇ。

 午後は、ひたすらレポート書いていた、ぜんぜん進まなかったけど、夜になってどうにか形が出来てきた。後2,3日でどうにかなるでしょ。

 うわぁー、もうこんな時間(23:30)。香港行く用意しないと!!

1998年4月4日土曜日

【昔の日記再投稿】(Australia) マクドナルド

 昨日3時近くに寝たせいか、10時ごろ起きた。

 最近は金曜日に帰ってきてから洗濯をして後で取り込みに行くのが面倒なので室内に干すことが多かったのだが、天気が良かったため今日は外に干した。室内に干すと雨とか気にしなくても良いんだけど、なかなか乾かない。まぁ干してある傍から着る物探すんだから同じことなんだけども。

 そして、大体週末の朝はマック、とはオージーも言わないが、ミクドォナルドというのが正しいみたい、でTake Away おっとここでも説明あるぞ、間違ってもテイクアウトではない、テイクアウェイをして家で食べることが多い。

 今日もテイクアウェイをしたのだが、帰りの道すがら、運動場の脇を通ったら地元のクラブらしきラグビーチームが試合をしていた。面白そうと思って、天気も良かったし木陰で朝食がてら観戦した。あまり詳しいルールは分からないのだが、オーストラリアにはいくつかラグビーのルールがあるようでテレビを見ていても、試合運びが違う物がいくつかある。しかし、そこで見た物は日本でおなじみのラグビーであった。社会人やプロのリーグをテレビで見ると、ペナルティキックというのはそれほど難しくないような気がするのだが、実際草ラグビーでは全く決まらなかったところを見るとかなり難しいようだ、まぁ実際キッカーがいるくらいなのだから、それ専門に練習を積む必要があるということ。

 そのグラウンドはヨットハーバーのすぐ脇にあって、パラパラと家族連れなどがお弁当を持ちながらピクニックがてらラグビーの試合を見ていた、こういうのが幸せだよなぁとか思ってしまって、妙に変だった。

 夕方、久しぶりにちょっと部屋を整理して掃除機を掛けた。きっと埃だらけだったんだろうねぇ。そのあと、アイロンがけをして、すっかり家事に明け暮れてしまった一日でした。

 明日こそ香港に行く用意をしなくては・・・。

1998年4月3日金曜日

【昔の日記再投稿】(Australia) 実力社会オーストラリア

 会社では、Mさんが給与査定が良くなかったと言って社長と遣り合っていた。まぁ、言ったの言わないのとか言う話で「私は1000$、2000$のことを言っているんじゃないのよっ!」とか吠えていたけども、結局給料のことを言っているんだからそれは嘘だよなぁ。

 まぁ確かにオーストラリアの給料は日本に比べたらまだまだ低いようだけれども、能力次第で評定が上がっていくと言うのは日本と違う実力社会なんだなぁ。

 日本だと皆一律の所謂年功序列で、能力のある奴も無い奴も大して変らないと言う給与体系だけれども、そのうち欧米みたいに、年俸更改みたいなことをするんだろうかと考えると、良いような悪いような気もする。終身雇用制度そのものとも関係するだけに日本では難しい気もするけど。

 でも、さっきのMさんが結局ゴネどくで給与がアップしたとしたら、まず交渉能力を身に付けるようにしようって皆思うだろうね。

 会社帰りが遅くなるとよく清水さんに夕食を誘われる。と言っても、どこかへ食べに行くのではなくて清水さんの家で作る。

 以前ここに載せたトマトパスタも実は清水さんに教わったものだ。

 きょうは、牛肉、トマト、玉ねぎで作るデミグラスっぽいけど、シンプルですごくご飯と合うものだった。>これって結構良いかもとおもった。

 なんか、運輸業界の話とか、鉄道業会の話とかしていたら、いつのまにか1時過ぎに。帰ってきたら2時でした。うう眠い・・・。

1998年4月2日木曜日

【昔の日記再投稿】(Australia) コンテナターミナル見学!

 今日は朝から、と言うのは嘘で10時からだったから朝はゆっくりと起きて、コンテナターミナルの見学に行ってきた。

 行った先はボタニー湾、だいたい車で45分ほど。あらかじめFreight Corp.のジョンにアポイントを取っておいた。CTALと言う依然行ったパトリックの反対側の港で、そこに引込線があって貨車が入り込んでいるのだ。

 しかしそれにしてもこっちの貨車は古い。平気で30年前の貨車ですとか言っている。塗装なんかしてなくって(依然してあったのだろうが、とっくに剥げてしまっている)錆だらけ。

 所々ひどい錆で鋼板が膨れている。台車も古く、メンテをする人が横からグリスを塗りたくっていた。何ともおおざっぱ。

 しかし、連結器なんかは日本と同じナックル式である。しかし、不思議なことにほとんどの貨車はサイドと妻面が鋼板で覆われているのだ。(これを無蓋貨車と言う)

 まるでバルクでも積むかのように。

 港では、門型のRTGとか言う大型のクレーンで積み込みを行っていた。無蓋貨車のような形だけに、トップリフトタイプでないと積めないのだ。

 日に、12本の列車が入ってくるそうでそれぞれパトリック、CTALに押し込まれて積み込み・積み下ろしが行われる。このような大型港に引込線が入っていることは日本ではないので、何とも羨ましい限りである。

1998年4月1日水曜日

【昔の日記再投稿】(Australia) エイプリルフール

 実は昨日の日記は帰ってきてから書いていたら寝る時間があまりにも遅くなるとおもったので今日書いたのでした。

 今日はキティが帰ってきたので、またヤマハを手伝うことに。まぁそうじゃなくても、昨日の今日でまだまだ片付かなくて忙しかったのです。

 とにかくヤマハは忙しくて、月末は必ず残業すると言うきついところである。まぁ、ジェフとか良い奴がいるから楽しいんだけどね。今日も帰り際に「なんか今度おごるよ」とか言ってくれたし。

 そう言えば、今日はエイプリルフールなのに何にも言われなかったな。

 明日は、コンテナターミナルの見学です。JR東海のAさんとJR東日本のFさんも来るとか。

 久しぶりの楽しみだ。